【徴兵制】 †
各国の憲法や法律によって国民に外敵から国を守る義務を科すこと。
また、その法令に基づいて自国民を軍隊へ強制的に徴集し、数年間の軍務(兵役)に服させる制度。
この制度が敷かれている国において、兵役の拒否は犯罪とされる。
兵士の命令不服従・脱走・敵前逃亡は多くの国で重罪であり、それは訓練を受ける前に犯した場合でも変わらない事が多い。
兵役拒否に対する典型的な刑罰は数年程度の懲役だが、状況や法体系によっては終身刑・死刑もあり得る。
思想的・宗教的な理由での拒否は特に罰則が重く、属する思想・宗教集団による組織犯罪とみなされる事もある。
ただし、軍以外で公共の労役に就く事を以て兵役の代替とする事を認める「良心的兵役忌避」の制度を運用する国家もある。
徴兵制を敷く国家でも、士官学校などのルートを通じた本人の自由意志による志願入隊は可能なのが普通。
特に指揮官を含む高度な専門技術者は徴用のしようがなく、尉官以上の階級(士官)はおおむね職業軍人のみで充足する。
関連:赤紙 良心的兵役忌避
基本的な制度運用 †
徴兵制を採用する国家では、特定の年齢に達した若者(おおむね18歳〜20代)を対象とした「兵役検査」が実施される。
だが、全ての国民が軍事訓練を受けて武装するわけではなく、兵士として不適格な者は徴兵を免除される。
詳細な徴兵免除の基準は国や軍隊によって様々だが、おおむね以下の通り。
- 健康状態
- 兵としての任に支障をきたす持病・身体的障害・器質的疾患を持つ者は徴兵を免除される。
兵役を逃れるために詐病(特に精神疾患を装う)を行ったり、意図的に体を壊す者もいる。
そうした不正行為のほとんどは兵役検査中の健康診断で発覚し、処罰や再検査の対象となる。
また、実際に持病がある場合でも兵役に耐える年齢のうちに完治すれば再び徴兵対象となる。 - 女性
- 徴兵は成人男性のみを対象とし、女性は招集しないのが歴史的原則(これは徴兵制以前、古代文明の軍制からずっと続いている)。
国家危急の事態が長期に渡って継続している場合には、例外的に女性も徴兵対象となる場合がある。
ただし、その場合でも後方の兵站業務に優先的に割り当て、前線での戦闘任務は可能な限り避けられる。 - 国家戦略上きわめて有為な人材
- 最高学府の学生、官僚、工業専門技術者など、兵士よりも国防上有益とされる職に就くものは徴兵されない。
この選定基準は国家の視点で見れば継戦能力を確保するための合理的な戦略だが、個人の視点では階級差別以外の何物でもない。
特に、多民族国家では教育水準・政治的影響力の格差が反映されるため、人種差別としか言いようのない状態を生じさせがちである。 - 忠誠への疑義
- 兵士としての忠誠に多大な疑問を生じさせるような来歴の人間は、保安上の理由から徴兵を避けられる。
犯罪歴および犯罪容疑での指名手配・敵国への渡航歴・スパイ容疑など。
ただし、殺処分を目的とした懲罰部隊を編成し、生還を期待できないような任務を割り当てて意図的に戦死させる場合もある。 - 局外者・二等市民
- 国家中枢と異なる氏族集団・民族・宗教に属する者。特に植民地・海外領土における先住民。
内乱や敵対勢力への内通が想定されるため戦時には隔離政策が採られ、強制収容所などに隔離される事が多い。
また、ハーグ陸戦条約では軍事占領地の住民に忠誠の宣誓を強制することを禁じている。
とはいえ、国家総力戦に際してこの条件は曖昧になりやすい。
また、政策として意図的に局外者・二等市民を重点的に招集する場合もある(これも殺処分を兼ねている場合が多い)。
非主流集団は貧困に陥りやすく、貧困層ほど給与目当ての軍役で戦死する可能性が高いため、戦争は間接的にジェノサイドを招く。 - 良心的兵役忌避
- 合法的な制度に基づいて正式に申請して兵役から逃れられる場合もあれば、そんな制度はない場合もある。
制度上認められない場合でも事実上「刑務所への収監と犯罪歴」をもって兵役の代替となる事が多いが、自発的にそれを望む者は多くない。 - 検査官による不合格判定
- 徴兵検査官は、恣意的な不合格判定を下して特定個人を徴兵から逃れさせる事が可能である。
これは賄賂の問題である場合もあるし、親戚や地元名士や上官による社会的圧力の結果である場合もある。
徴兵対象者の人数は膨大であり、全ての場合について厳密な判断・監査を行うのは現実的ではない。
従って、恣意的な不合格判定それ自体が発覚する事は滅多にない(贈収賄や恐喝が発覚する可能性はある)。 - 抽選
- 軍が求める補充人数よりも徴兵対象者の方が多い場合、全員を徴兵する事はない。
通常、能力的に適性の高い者を集中的に選別した後、それほど有能そうでない者から抽選で選ぶ。
国民感情の関係で能力的選別を行わず、不合格者を撥ねた後に一律で抽選対象とする場合もある。
徴兵対象者はおおむね1〜3年ほどの軍歴を経て社会に復帰する(志願すれば、定年まで続けられる場合もある)。
戦時中でなければ、その期間はほぼ訓練と時折生じる災害派遣などで終わる。
軍歴終了後は予備役(在郷軍人)として登録され、身体的に可能な限り軍隊に復帰できるよう待機と定期訓練を義務付けられる。
発展途上国ではこうした軍役が社会保障を兼ねている場合があり、職業訓練を受けながら社会的信用を獲得する手段として重宝される向きもある。
こうした予備役は国家総力戦に突入した場合や、局地的な人員不足が発生した際の補充要員として確保されている。
なお、「徴兵候補者名簿」への登録手続のみが義務であり、その名簿を基に呼び出しを受けて入隊する、という国もある。
アメリカ国防総省の"Selective Service System"では、徴兵対象となる米国籍ないし永住権を持つ18〜25歳までの男性の名簿を作成している。
ただし、アメリカは1973年に徴兵制の運用を停止しており、現在はこの名簿を使用することはなくなっている。
戦略的意義 †
現代における徴兵制の萌芽は、1800年前後のフランスにおいて、ナポレオンによって確立されたものとされる。
中世の封建時代以来、兵士の主体は王侯貴族や寺院・教会など特権階級が各自で集めてきた民兵や傭兵であった。
徴兵制はそれら旧来の制度に比して士気(モチベーション)が低く、訓練が行き届いているわけでもなく、おおむね弱兵である。
一人一人の兵士の質が低く、忠誠に欠ける問題は徴兵制の根本的欠陥であり、この点は現代に到るまでほとんど改善されていない。
徴兵制の価値は兵士の質ではなく、その潜在的な兵士の絶対数と、運用の柔軟性である。
兵士として現実的に投入可能な人員の全てを実際に投入可能な体制を整えたこと。
戦力化された一定数の兵士を常に国家の管理下に置くことで、損耗した兵士を素早く補充可能にしたこと。
特権階級から軍を編成する権利を没収し、軍人から反逆・参戦拒否・他国への内応を行う機会を奪ったこと。
そして全ての指揮系統を一手に集約させ、合理的に運用可能にしたこと――すなわち、国家総力戦を可能にしたこと。
徴兵制の歴史的意義は、そのような形で司令部や参謀が作戦を立案する際の効率に寄与した。
個々の兵士の能力や待遇はむしろ悪化したとさえいえるが、運用の柔軟性はその代償を補ってあまりあるものだった。
事実、徴兵された兵士はしばしば甚大な損害を伴う強襲作戦に投入された。
損害を厭う民兵や傭兵にはそのような酸鼻極まる無惨な作戦は実行できない、という事実が極めて重大な戦略的利点であったためである。
この利点は他の制度では決して対抗できないものであったため、近代には世界各国が徴兵制を推進していく道を辿ることとなる。
民兵・傭兵を招集する権利を巡っての紛争は頻発したが、在来勢力が徴兵制の軍を打倒して最終的な勢力を得ることはなかった。
徴兵制の問題点 †
徴兵制の最大の問題は、徴兵を前提とする戦略が本質的に人海戦術であり、数多くの兵士が単に「死ぬため」に動員されるという点にある。
今日までの戦争の大半はそれ以外に選択の余地がないものであったが、今日においてはその前提が崩れつつある。
21世紀の現代、軍隊ではさまざまな装備品が機械化・自動化され、兵站が複雑怪奇を極め、軍人の専門職化が進んでいる。
また、ゲリラ戦やスパイの応酬、自爆テロから大量破壊兵器まで、軍事的脅威のほとんどは「単に銃を持っただけ」の人間には対処不能なまでに進歩した。
ここに至って、大量の予備役を確保する事は軍隊の継戦能力にほとんど寄与しなくなってきている。
今日の戦争で求められる軍隊は「長年にわたって高度な研鑽を積んできた専門家の集団」であり、「利発な若者の隊列」ではない。
また付け加えると、強制的に徴用された若者はおおむね囚人のように無気力・無責任になる傾向にあり、「利発な」兵士とは言い難い。
そして非常時の混乱、自暴自棄に陥る危険性、人数分だけ増える兵站負荷と予算など、兵士が多いという事はそれなりの代償を伴う。
加えて、徴兵を行うことが国家経済に及ぼす悪影響も指摘されている。
徴兵対象となる10代末期〜20代前半は人間の生物学的な成長がピークを迎え、肉体的にも精神的にも活気に満ちた時期である。
これはもちろん兵士として戦わせるのにも最適な時期ではあるが、若者の活力は軍隊のみならず国内全ての産業・学問が必要としている。
政府が若者を網羅的に軍隊に徴用すれば、その分だけ若者の未来が閉ざされ、人的資源の枯渇は経済的不況を招いて政治的安定性を損なう。
庶民に言わせれば「エリートのドラ息子は戦争に行かなくても済むのに、俺たちの息子はどこかの奥地で一巻の終わりになってしまう」となる。
実際に戦争が起きて多数の死者が出た場合、労働者階級がこう考え出して反政府的な思想が広まるのは避けようがない。
これは戦時の国内情勢において深刻な政治問題であり、対処を誤ればクーデターや内戦を引き起こす恐れがある。
新兵の教練過程は強烈なストレスを伴うため、戦時でなくとも戦争神経症をはじめとする精神疾患、自殺、犯罪への影響を無視できない。
それらは巡り巡って人口の減少、人件費の高騰、税収の減少を招き、国力を疲弊させる結果へと繋がっていくものと推定されている。
このような問題から、良心的兵役忌避の認可・徴兵免除の対象拡大・兵役期間の短縮など徴兵制の段階的縮小を試みる国は少なくない。
また、徴兵制を完全に廃止して職業軍人のみの軍隊に移行している国々もある。
徴兵制の廃止は兵士の数が足りなくなる危険性と不可分であるため、将来的な軍拡に備えて徴兵制の復活を可能にしている場合もある。
また、人的資源の不足を補うために外国籍の人間を軍に雇い入れる「外人部隊」制度や、民間軍事会社のサービスを利用する国も一部にある。
その一方で、主に文化的見地から徴兵制を賛美し、その復活を唱える個人・団体も存在する。
これは特に先進国の保守反動勢力に多いが、それらの主張はおおむね冷笑を以て受け取られている。
多くは不自然に懐古趣味的であり、現実的な未来予測のモデルを伴う徴兵制肯定論は近年ほとんどない。
曰く、「軍隊生活はひ弱な若者を逞しく鍛えてくれる」。
曰く、「兵舎での規律ある共同生活が、モラルや協調性、国家・社会への忠誠心を育ててくれる」。
いずれも20世紀以前に徴兵制を施行する都合上唱えられたプロパガンダであり、近年の学術研究はこれと逆の事を示唆する傾向にある。
加えて、政治的意向として徴兵制を賛美する必要があったという事実は、そのような論調が当時においても不自然であった事を示している。
主要各国における徴兵制の現状 †
現在、世界で軍隊に類する武装組織を持つ約170の国家のうち、徴兵制を採用しているのは67ヶ国とされている。
以下に、主要国における徴兵制の採用・不採用をまとめた。
国名 | 徴兵制 | 良心的兵役忌避 | 特記事項 |
アイスランド共和国 | 不採用 | 必要なし | 軍隊を保有した事がない(政府機関が最低限の武装を持つ) |
アイルランド共和国 | 不採用 | ||
アルゼンチン共和国 | |||
アメリカ合衆国 | 採用 | できる | 運用を停止している |
イスラエル国 | 採用 | 女性のみ可 | 女性も徴兵対象。ただし兵役期間は男性より短い(男子は3年、女子は1年9ヶ月) |
イタリア共和国 | 不採用 | 必要なし | |
インド | 徴兵制を施行したことがない | ||
スペイン | |||
オーストラリア連邦 | |||
カナダ | |||
ギリシャ共和国 | 採用 | できる | |
グレートブリテンおよび 北部アイルランド連合王国 | 不採用 | 必要なし | |
コスタリカ共和国 | 採用 | 常備軍を持たない 有事の徴兵(軍隊の編成)が可能だが、実施された例はない | |
サウジアラビア王国 | 不採用 | ||
シンガポール共和国 | 採用 | できない | 各種公共機関と共同で人員を招集する (配属先を選ぶ自由はない) |
赤道ギニア共和国 | 不採用 | 必要なし | |
スイス連邦 | 採用 | できる | |
スウェーデン王国 | 不採用 | 必要なし | 2010年7月1日に徴兵制を廃止 |
タイ王国 | 採用 | できない | |
大韓民国 | |||
中華人民共和国 | 採用 | 運用を停止している | |
中華民国(台湾) | 不採用 | 必要なし | 運用を停止している (2012年1月1日に停止) |
朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮) | 採用 | できない | |
デンマーク王国 | できる | ||
ドイツ連邦共和国 | 採用 | できる | 運用を停止している |
トルコ共和国 | 採用 | できない | |
ニカラグア共和国 | 不採用 | 必要なし | |
日本国 | 不採用 | 必要なし | 憲法上の理由で軍隊を持たないと自称 (実態としては志願制の軍隊を持つ) |
ニュージーランド | 不採用 | 徴兵制を施行したことがない | |
ノルウェー王国 | 採用 | できる | 2015年からは女性も対象となった |
パキスタン・イスラム共和国 | 不採用 | 必要なし | |
ハンガリー共和国 | |||
バングラデシュ人民共和国 | |||
フィンランド共和国 | 採用 | できる | |
フランス共和国 | 不採用 | 必要なし | |
ヴェトナム社会主義共和国 | 採用 | 不明 | 1979年以来運用が停止されていたが、2011年に運用再開 |
ベルギー王国 | 不採用 | 必要なし | |
ポルトガル共和国 | |||
マレーシア | 不採用 | 必要なし | 2003年より「国民奉仕制度」なる軍事的意図のない招集が行われている。 |
ミャンマー連邦 | 採用 | 不明 | 運用を停止している 義務教育世代への軍事教練は存続 |
ヨルダン・ハシミテ王国 | 不採用 | 必要なし | |
ルーマニア | 不採用 | 必要なし | |
ロシア連邦 | 採用 | できる |