Last-modified: 2024-03-20 (水) 15:40:23 (38d)

【騎兵】(きへい)

Cavalry/Trooper.

戦場で大型四足動物の背に乗って機動・戦闘を行う兵士、またはそうした兵士で構成された部隊
基本的にを用いるものを指すが、経済的事情や生育環境の問題から他の動物兵器を用いた例もある。

馬が貴重な時代・文化圏ではロバを用いた例がある。
また、インド・地中海・東南アジアでは象を、北アフリカ・西アジアではラクダを用いた例がある。

現代では「動物に乗って戦う兵士」としての騎兵は実質上廃れた*1ため、「機動力にすぐれた部隊」を指す慣用表現として使われる事が多い。
かつて騎兵であった部隊は、乗り物を戦車歩兵戦闘車ヘリコプターなどに置き換えてからも伝統的に(「装甲騎兵」「航空騎兵」などの名目で)「騎兵(Trooper)」を名乗り続ける場合がある。
また、現在でも文化・伝統上の理由から乗馬部隊による儀仗を行っている国がある。

関連:騎士

騎兵の利点と欠点

騎兵を通常の歩兵と比較した場合、以下のような利点と欠点がある。

  • 利点
    • 歩兵では到底追いつけない速度と機動力を持つため、伝令や威力偵察に適する。
      人間の全力疾走は10〜20km/h前後だが、馬は短距離なら武装した騎手を乗せて50〜60km/h前後で走ることができる。
    • 機動力によって交戦した敵歩兵撤退を阻止し、突撃や追撃の戦果を拡大できる。
    • 馬上で見ているため視点が高く視野も広い。
      これは警戒や偵察を容易にし、戦場での迂回や包囲も助ける。
    • 巨大な体躯は威圧的で、生物であるため機械と違って挙動を予期しにくく、威嚇として強い効果を発揮する。
      大規模な暴動では軍用車両でも群集に取り囲まれて破壊される事があるが、馬に蹴り殺される危険を覚悟の上で騎兵に襲いかかる暴徒はまずいない。
    • コストが高く戦果も華々しい部隊であるため、兵員も高度な訓練を受けており、総じて士気や知的能力が高い。
    • 死んだ馬は糧食になる。
      平時に屠殺した老馬の肉は貴重な保存食であったし、最悪の事例では『死んだ人間も糧食になる』という事実から目を背ける時間稼ぎになった。
  • 欠点
    • 鎧や盾など防具を保持するのが極めて困難で、攻撃を受けると非常に脆い。
    • 歩兵ほど器用に立ち回る事ができないため、立ち止まった状態で歩兵から攻撃を受けると極めて不利。
    • 歩兵よりも物理的に大きいので、射撃が命中しやすい。また遮蔽を取って隠れる事もできない。
    • 山岳・森林・泥・バリケードなどに阻害されやすく、不利な環境での機動力歩兵以下。
      待ち伏せを受けた際に弓兵や銃撃のキルゾーンから離脱するのも極めて困難。
    • 乗馬したままでは遮蔽物を突破できないため、屋内戦や市街戦では下馬して徒歩で戦わざるを得なくなる。
    • 馬一頭を養うために人間10人分に近い食料と水が必要で、馬と兵士の訓練にも年単位の練成が必要。
      この膨大な維持費と訓練時間のため、多くの数を用意できず、損耗からの回復も遅い。

騎兵のバリエーション

当然ながら騎兵も兵士の一種であり、時代や国情ごとに移り変わる戦術戦略を反映して様々な編成、運用が成される。

古代戦車・騎馬戦車(Chariot)

馬の背中に兵士が乗るのではなく、兵士と武装を搭載した台車を引き摺らせて移動するもの。
通常2〜3人が搭乗、弓矢・矛・剣などで武装し集団突撃を行った。

世界で最初に戦車を発明したであろう騎馬民族の名や出身地を知るものはない。
作り上げた戦車の猛威をもって多くの異民族を征服し、その異民族の文明に吸収され埋没していったと思われる。
古代エジプトの時代ですでに戦車の存在が知られており、後にローマや中国で大規模な戦車戦が展開された。
平時には速さを競う競馬のような戦車競争の興行も行われ、大変な人気があったという。

2頭以上の馬を繋げられるため積載能力に優れ、落馬の危険も比較的少ない。
これは古代世界において、他の騎兵のあらゆる利点をしのぐ甚大な利益であった。
鞍も鐙もないため落馬事故が多発し、未発達な医療のため軍人が事故から復帰するのも絶望的であったからだ。

戦略的には「大量の矢を携えて高速移動する弓兵」というべき存在である。
騎兵の普及以前の戦場において、これは絶望的な脅威だった。
訓練された戦車乗りは一台ごとに毎分5人の敵兵を射殺できたとされる。10台あれば20分で一個旅団全滅させられる計算になる。
この火力は古代の戦争を決定的に左右するものであり、最盛期のチャリオットは現代の主力戦車にも匹敵する決戦兵器だった。

ただし、台車など重い荷物を運ばせるため馬の行動が大幅に制限され、機動力は単騎の騎兵よりも低い。
当時の未熟な工学技術で作られた木製の車輪は壊れやすく、普通の騎兵以上に地形障害に甚大な影響を受けた。
このため、馬に直接騎乗する弓騎兵を揃えた騎馬民族の出現によって急速に廃れていった。
ただしその設計思想は馬車として残り、現代でも自動車や戦車へと受け継がれている。

軽騎兵・弓騎兵

機動力を重視した軽い装備で、白兵戦を避けて逃げ回りつつ弓、拳銃カービンなどで散兵戦を行う騎兵。
多くは偵察部隊を兼ね、威力偵察や敵陣側面・後方への奇襲に用いられる事が多い。

この行動方針は遊牧民族が平時に行う狩猟や牧畜と似通った面が多い。
事実、遊牧民の弓騎兵は他の民族に比べても非常に練度が高かった。
このため遊牧民は中世まで略奪を行う蛮族として大いに軽蔑され、恐れられていた。

厳密に言えば、略奪を行う蛮族でない国民など常備軍が整備された国家にしか存在しない。
ただ、遊牧民は強奪を行う手際が良く、よって生還率が高く、従って被害件数も多かった。

重騎兵・槍騎兵

乗馬したまま敵陣に突撃して白兵戦を行う事を主任務とする騎兵。
騎兵は攻撃を受けると脆いため、素早く敵陣を切り崩し、突破して走り去るのが基本戦術となる。
まず歩兵同士の交戦で敵を疲弊させた後、隙の生じた箇所への「とどめの一撃」として突撃させるのが主な用法であった。

集団密集戦術が基本となり、散兵戦を行えないため射撃に対して非常に弱い。
弓矢への対応防御として人間と馬を鎧で覆う事もあったが、ただでさえ高価なコストが鎧によってさらに高騰するため実用的ではなかった。

歩兵用の武器は馬上ではろくに扱えないため、最長4m程度の「騎兵槍」が特別に用意された。
この騎兵槍は、火器が登場するまで、人間が保持できる最高の破壊力を備えた兵器であった。
馬の体重と速度による衝撃を受けた敵兵は後続を巻き込んで転倒し(そして馬に踏み潰され)、敵部隊の隊形が崩れる事で士気と統制に絶大な影響を与えた。

火器が発達すると騎兵槍は廃れ、代わりに下馬しても使えるサーベル(刀)を使用する事が多くなった。
これは背を向けて逃げる敵を切り倒しながら走り続ける運用を想定したもので、騎兵同士で剣戟を交える事は想定しない。
また実際、騎兵同士での正面衝突は双方あまりにも被害が大きすぎるため、近代戦ではほとんど行われていない。

乗馬歩兵(Mounted Infantry)

長距離行軍での乗り物や荷役としてのみ馬を利用し、戦う時は徒歩で機動する歩兵
長弓兵や初期の銃兵(竜騎兵)など、訓練を要するが騎兵とは両立しない兵科でよく見られる。
また、指揮官など自分自身の交戦を想定しない場合にもよく見られる。

馬が直接戦闘に関与しないため、撤退時に奪われる可能性を除けば馬の生還率が高い。
歴史上もっとも一般的な騎兵であり、馬が存在する地域であればどれほど騎馬戦術に疎い軍でも採用された。

なお、現代における「自動車化(機械化)歩兵」は、ある程度まで乗馬歩兵の系譜を受け継いでいるといえる。

馬車

数頭の馬に大きな車を曳かせるもの。要人、歩兵兵站の輸送に特化している。
襲撃に際して馬車自体が戦う事は不可能なため、普通は護衛として歩兵(徒歩あるいは乗馬歩兵)・軽騎兵を同道させる。
物資を積載した場合は歩兵以下にまで機動力が落ちるため、戦場では予め馬を退避させて固定の障害システムとして用いる。

矢玉を防げる頑丈な構造で作るとペイロードが圧迫されるため、戦闘に耐えがたい華奢な構造で作られている事も多い。
また、ゴムやベアリングの普及以前の工学では悪路を踏破させられないため、事前の道路整備が必要不可欠だった。
古代ローマでは、馬車による連絡網を整備する目的で長大かつ頑丈な街道が各都市間に設けられていた。

後にこれは「すべての道はローマに通ず(omnēs viae Rōmam dūcunt)」という格言のもとになった。
原義は「すべての道がローマを導く」の意味で、馬車道がローマの国力の根幹であった事を表している。
しかしローマ文明崩壊後のカトリック教圏においては、全ての土地はローマ(教皇)の威光に服する、という選民思想へと変質していった。

騎馬砲兵

乗馬歩兵の亜種。歩兵の代わりに野戦砲とそれを扱う砲兵を輸送する。
野戦砲は陸戦最強の打撃力を備えた兵器であるが、機動力は絶望的に低い。
これは攻勢においては深刻な弱点であり、頻繁な機動についていけず置き去りにされる砲兵も少なくなかった。
しかし、馬を使えば「戦場を縦横無尽に機動し、機敏に位置を変えつつ的確な砲撃を繰り返す」事が可能になる。

歴史上では、特にフランスのナポレオンが騎馬砲兵の運用に長け、「空飛ぶ砲兵」の異名で恐れられていた。
ただし、騎兵の常として少数精鋭にならざるを得ず、全ての砲兵を騎馬砲兵として運用するのは不可能に近い。
20世紀以降は軽量な迫撃砲、より機敏な自走砲、文字通りの空飛ぶ砲兵たる爆撃機に継承されて発展的解消を遂げた。

歴史的経緯

人類が馬を家畜化したのは紀元前4000年ごろと言われており、騎兵という兵科もほぼ同時期に出現する。
当初、馬の調達は困難であり、馬を所有していること自体が財力の象徴でもあったため、当時の騎兵隊は貴族階層を中心に構成されていた。
貴重な馬と乗り手を最大限に保護する必要があったため、過剰な装飾と防護を施された騎馬戦車が初期の騎兵の常であった。

人類が乗用馬・荷役馬の量産を可能にしたのは紀元前800年ごろで、これとほぼ同時に騎馬民族が出現した。
騎馬民族は日常生活において常に馬を活用しており、このため多忙な貴族階級の戦車兵とは全く練度が異なっていた。
騎馬戦車は軽騎兵・重騎兵の機動力に太刀打ちできず、やがて騎馬戦車の概念は歴史から姿を消していった。

紀元前300年頃には騎兵突撃に対する対抗策として「長槍兵で方陣を組んで全方位から奇襲を警戒する」という戦術が確立。
これによって騎兵が戦術の中核であった時代は事実上終結し、以降の騎兵戦術は歩兵の補助に特化していく事になる。
この戦術理論は、近代に至るまで騎兵の常套戦術であり続けた(制度・経済上の制約から常套戦術を取れない軍も多々あったが)。
機動力を駆使した軽騎兵の散兵戦と、最も危険な前線に素早く到着する乗馬歩兵の増援部隊が、騎兵戦術の完成形であった。

しかし19世紀後半、ライフル機関銃の登場によって馬の戦術的利点は封殺され、騎兵は完全に時代遅れの兵科となった。
馬は偵察・伝令・長距離行軍・輸送用の荷役の手段となり、前線に姿を見せれば即時に射殺されるものとなった。
だが、それも自動車が大々的に運用され始めるまでのことで、第二次世界大戦を契機とした軍隊の機械化が始まると共に、兵器としての馬は徐々に姿を消す事になる。

しかし、現在でも主に低強度紛争において、自動車やオートバイでは機動が難しい峻険な山岳地や砂漠を進む際、馬やラクダが用いられることもある。
また、警察機関では市街地中心部における雑踏警備や暴動鎮圧などのために騎馬警官隊を保有することもある。

馬は自動車やオートバイよりも柔軟な動きが可能で、それらの入れない狭い路地や公園にも入ることができる。
また、の生物的な威圧効果には未だ機械では代替できない効力がある(馬を養い続けるコストに見合うかはともかく)。


*1 しかし、現在でもアルゼンチン、インド、中国、チリなど地形が険しい地域がある一部の国では実戦的な乗馬部隊が維持されている。

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