Last-modified: 2016-09-21 (水) 20:05:09 (275d)

【ベレンコ中尉亡命事件】(べれんこちゅういぼうめいじけん)

1976年9月6日、北海道の函館空港に当時のソ連軍最新鋭戦闘機MiG-25が強行着陸し、パイロットのベレンコ・ビクトル・イワノビッチ防空軍中尉(1947年生〜存命中)がアメリカに亡命した事件。

この日、ベレンコ中尉機はウラジオストックの北東180kmにあるチェグエフカ空軍基地を離陸して訓練空域に向かう途中、追撃を避けるため墜落に見せかけた急降下をし、低空飛行で北海道を目指した。
一方、航空自衛隊レーダーサイトは13時11分にベレンコ機を捕捉、同20分には千歳基地から2機のF-4EJスクランブルしてきたが、ルックダウン能力の乏しかったF-4EJは、高度を下げたベレンコ機を見失い、また13時26分には各所のレーダーサイトも同機をロストした。

これは、当時使われていたF-4EJが「政治的配慮」により、爆撃照準用ソフトウェアが組み込まれたFCSコンピュータを撤去しており、アメリカ空軍が用いていたF-4Eに比べれば遙かに劣るルックダウン能力しか有していなかったためである。
なお、後にF-15Jが導入された際には、この件を教訓として、原型機のFCSをそのまま残すこととなった。

ベレンコ中尉は、スクランブルをかけてくるはずのF-4に誘導されて千歳基地に着陸する予定だったが、一向にF-4が姿を現さなかったため、燃料と空港周辺の天候の関係から千歳基地行きを断念、候補の八雲飛行場と函館空港のうち、「ナイキがいない」という理由で函館へと針路変更した。
13時50分ごろに函館空港へオーバーランして着陸、機体は空港敷地から飛び出し、金網を突き破って水田に突っ込んだが特に損傷なく無事であった。

日米の対応

この事件により、同地の防衛を担当する陸上自衛隊第28普通科連隊*1は、ソ連軍の特殊部隊がMiG-25の機体と中尉の身柄を奪還するために上陸してくることを恐れ、政府・防衛庁の承諾なしで臨戦態勢に入り、試射とは言え初めて自衛隊が本気で迎撃を行った。
ただし、この時にソ連軍機と判断された機影は航空自衛隊の輸送機であることが、L-90*2配属の隊員とそこからの問い合わせですぐに分かり、同士討ちと言う最悪の事態は避けられた。
その後も臨戦態勢はとられ続けた*3が、9月24日にアメリカ空軍C-5輸送機で搬出されるまで何事もなく、ベレンコ機は「函館の皆さんさようなら大変ご迷惑をかけました」の横断幕とともに函館の地を去っていった。

機体は茨城県・百里基地へ搬送された後、日米の合同調査チームによって徹底的に調査された。
最新鋭の機体だけに、その調査結果に注目が集まったが、ペンタゴンのコメントは"MiG-25 is not so hot"(MiG-25は大したことなかった)であった。

「それまで耐熱用のチタニウム合金製と考えられていた機体が、実はステンレス鋼板にすぎなかった」こと、「真空管などを多用した電子機器が、当時の水準としては著しく時代遅れであった」ことなどからこうしたコメントになった。
ただ、電子機器の件については機体開発当時の半導体技術*4や、いつ核戦争に発展するやも知れぬ緊迫した冷戦下であった事も考慮する必要がある。
一般的に、真空管は核爆発の際に電子機器を破壊する電磁パルスの影響を受けにくいとされる。

11月15日、機体は厳重な梱包を施され、残っていた燃料の一滴まで一緒にソ連の貨物船に積み込まれて返還された。

事件の原因

ベレンコ氏が亡命を決意した理由は色々と挙げられているが、有力なのは「(防空軍の将校たる)軍人かつパイロットとしての待遇があまりにも悪かった*5ため」とされる。
当時、氏は息子と妻の三人暮らしだったが、月給は当時の金額で300ルーブル(約12万円)と、きわめて薄給であった*6
それに加えて、妻との仲が冷え切っていたことも理由とされている。

その後

この事件で、自衛隊の防空体制があまりにも脆弱だったことが明らかとなり、レーダーサイトの低空目標探知能力の強化や早期警戒機E-2*7と最新型戦闘機F-15Jの導入、F-4EJからF-4EJ改への改修などの改革が行われた。

ちなみに、事件の当事者であるベレンコ氏はアメリカへの亡命に成功した後、しばらく国内で住居と職を転々としていた*8が、現在はアイダホ州に在住し、航空イベント会社のコンサルタントをしているという。


*1 当時、第11師団隷下部隊。
*2 開催予定だった函館駐屯地の一般開放で展示するため、61式戦車と共に駐屯地に搬入されていたもの。
*3 28普連の他、東北方面隊対戦車隊や海上自衛隊大湊地方隊の艦艇、航空自衛隊F-4EJが現場周辺に出動し、ソ連軍の接近を警戒していた。
*4 大電流に耐えられるトランジスタは、当時、どの国でも実用化されていなかった。
*5 実際、事件後にチュグエフカ空軍基地を訪れた共産党の委員会は現地の生活条件の悪さに驚愕し、すぐさま5階建ての官舎・学校・幼稚園などの建設を指示したという。
*6 現在はどの国の軍隊でも、パイロットには高度な判断力が要求されることから、養成課程で初級幹部としての教育も同時に受け、将校として遇される。
*7 その後、さらなる能力向上を目指してE-3AWACSの導入を検討するが、母体のB707が生産を終了してE-3の調達ができなくなったため、B767をベースとした「E-767」を導入し、E-2と並行で用いている。
*8 これはCIAからの勧告によるものだった。

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