【松】(まつ)

大日本帝国海軍・一等駆逐艦「松」。
大東亜戦争後期、戦時量産型の護衛駆逐艦として設計・建造された。
同型艦は19隻(準同型の「橘」級を含めると32隻)あった。

従来の日本海軍における駆逐艦は、艦隊決戦における敵艦隊の漸減戦闘や戦闘終了後の残敵掃討などの任務が重点視されており、そのために敵の戦艦を上回る速力や強力な魚雷兵装が求められてきた。
ところが、大東亜戦争においては航空主兵主義が海軍戦略・戦術の主流となったことから、当初想定されていたような「主力戦艦同士の砲撃戦」という状況はなかなか発生せず、そればかりか「想定外の使われ方」である離島への人員・資材強行輸送(東京急行)にすらしばしば投入され、優秀な駆逐艦が多数失われることになった。
そしてその補充は、建造に時間のかかる従来の艦隊型駆逐艦の建造ペースでは到底間に合わなかった。

その一方で、太平洋でのバトルプルーフから、駆逐艦の性格が従来の「水雷戦闘に特化された大型水雷艦」から、「輸送船団護衛や航路警戒、人員・資材の強行輸送までこなせる多目的艦」に変化していったため、必ずしも高速である必要性はなくなっていた。
こうして、不足する駆逐艦戦力を短期に補充するため、急造に適した簡易型駆逐艦として計画・設計されたのが本艦型である。


本艦型の船体は、工期の短縮を図るために直線を組み合わせたようなデザインで構成され、部材も従来の特殊鋼をやめて入手の容易な高張力鋼を採用した。
また、機関も「鴻」型水雷艇に搭載されていたのと同型の製造が容易なものを採用していたが、その配置法は、帝国海軍では初となる「シフト配置」となった。

従来の艦艇では、ボイラー室と機関室が1ヶ所にまとめて置かれていたが、これでは、敵の攻撃でどちらか一方が破壊されると推進力を失って行動不能になってしまう。
そこでボイラーとタービンを2つに分割し、かつ交互に置くことで、船体の全幅を貫通されるような攻撃を食らっても航行を継続できるようにしたのである。
「推進系統や船体構造が左右非対称となり、保守・整備に手間がかかる」という欠点もあったが、これにより、従来の艦隊型駆逐艦に比べて「打たれ強い」艦になった。

備砲には40口径12.7サンチ高角砲を載せ、(秋月級には劣るものの)従来型駆逐艦よりも強力な防空力を得た。
一方で、魚雷兵装は4連装発射管1門のみとされ、自衛用の申し訳程度になった。
また、人員・資材輸送のために運貨船2隻を搭載していた。


本艦型は「戦時量産型簡易駆逐艦」としては申し分ない能力を備えており、現場での評判も上々だった。
樹木の名前に由来する艦名がつけられていたことから「雑木林」ともあだ名されたが、重要性の高かった船団護衛や航路警戒、人員・資材輸送などで幅広く活躍した。

「橘」型

簡易駆逐艦として建造された「松」型は、戦況の更なる悪化に伴って19隻で建造が打ち切られ、以後は更に工事の簡素化を図った「橘」型に移行した。
この型は、部内では「改丁型」と呼ばれ、工期を3ヶ月に短縮することを目指して建造されたが、目的を達成できた艦はなかった。
しかし、それでも終戦までに14隻が完成している。

ちなみにこの型の一艦「梨」は、1945年7月に瀬戸内海で敵機の攻撃により沈没したが、戦後、引き揚げられて修復の上、海上自衛隊に編入。
解除では「護衛艦『わかば』(DE-261)」と名を改め、1970年まで使われていた。


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