- バックアップ一覧
- 差分 を表示
- 現在との差分 を表示
- ソース を表示
- 九六式艦上戦闘機 へ行く。
- 1 (2022-02-13 (日) 11:28:16)
- 2 (2022-02-14 (月) 04:48:50)
- 3 (2022-02-16 (水) 07:38:52)
- 4 (2022-02-19 (土) 07:12:09)
- 5 (2022-03-02 (水) 07:49:22)
- 6 (2022-03-24 (木) 20:19:29)
- 7 (2022-10-22 (土) 14:36:57)
- 8 (2022-12-14 (水) 13:53:02)
- 9 (2023-09-01 (金) 10:17:15)
- 10 (2023-09-03 (日) 11:58:09)
- 11 (2023-09-18 (月) 11:03:47)
【九六式艦上戦闘機】 †
三菱 A5M.
1930年代、三菱重工業が開発・生産し、日本海軍に納入していた単発・単葉のレシプロ艦上戦闘機。
連合軍でのコードネームは「
海軍制式機としては初の全金属製低翼単葉機で、国産機としては初めてフラップを採用した機体でもあった。
設計にあたっては高速性が追及され、機体の組み立てには九六式陸上攻撃機と同様に沈頭鋲を採用した。
また、主脚?も、重量軽減と未整備の飛行場での運用を考慮して小型の固定脚とし、流線型のスパッツで覆う方式を採用した。
これにより、高度3200m、正規重量での最高速度が450km/hという速度性能を発揮することができた。
1936年から生産が開始された本機は、さっそく日華事変に参加。
「渡洋爆撃」と名付けられた中国大陸への戦略爆撃の護衛任務に投入された。
しかし、作戦行動半径が約400kmの本機は、爆撃の範囲が奥地に及ぶと爆撃隊に随行することができず、後に開発された零式艦上戦闘機にはさらなる航続距離を求めることになった。
大東亜戦争の開戦当初も、軽空母や後方の基地航空隊などに配備されていたが、1942年までには第一線を退き、練習機として終戦まで運用された。