【エチオピア・エリトリア紛争】 †
概要 | ||
期間 | 1998年5月6日〜2000年6月18日 | |
場所 | 両国国境線付近 | |
結果 | アフリカ連合の仲裁により停戦 | |
交戦勢力 | エチオピア、ロシア(間接的支援) | |
エルトリア、ウクライナ(間接的支援) | ||
戦力 | エチオピア側 | 300,000〜350,000人 |
エルトリア側 | 200,000〜300,000人 | |
損害 | エチオピア側 | 死者34,000〜60,000人(エチオピア側の主張) 死者123,000人(その他の推定) 撃墜:MiG-21×3機、MiG-23×1機、Su-25×1機、Mi-35×2機+ |
エルトリア側 | 死者16,550〜19,000人(エルトリア側の主張) 死者150,000人(その他の推定) 撃墜:MiG-29×4機、MB-339?×1機 | |
全体 | 死者98,217人(ウプサラ紛争データプログラム(UCDP)の推定) 死者70,000〜100,000人(国際危機グループ(ICG)の推定) 死者300,000人(その他推定) |
1998年、帰属が曖昧であった「イイグラ三角地帯」を獲得するためにエリトリアがエチオピアに侵攻して起きた紛争。
2000年6月1日に一時停戦したが、エリトリアのアッサブ港近辺での戦闘が原因で再開され、2018年まで戦闘状態が続いていた。
始まりは1998年5月、エリトリア軍が奇襲攻撃を開始した事で、これによりエチオピアのバドメ地区を占領。
エチオピア内閣と議会がエリトリア側の侵略を非難し、即時撤退を求める声明を行ったが、エリトリアはこれをエチオピアからの宣戦布告であると主張。
やがて戦闘は両国全土に広がり、6月には両首都をお互いに空爆するといった事態にまで発展した。
なお、空爆にはエチオピア軍がMiG-23BNフロッガー、エリトリア軍はMB339FD?を多く使用している。
戦闘が長く続く事により、両国では100万人を越す難民が発生し、今でも多数の人が飢えと貧困に苦しんでいる。
そのため、国連も難民キャンプを設立したり食料支援等を行なっているが、逆に両軍にキャンプを襲撃され食料を奪われる状態に陥っている。
軍事物資は国連決議により、両国への輸出は禁止されているが、中国製・ロシア製・リビア製・イタリア製等の突撃銃・戦車・航空機等が多数確認されており、闇ルートで輸出されていると思われる。
この紛争では、アフリカの紛争としては珍しく両国とも航空機による攻撃を盛んに行っており、その際に両国戦闘機による多数のドッグファイトが行なわれたと言う。
その一つの例はエチオピア空軍のSu-27SKフランカーBとエリトリア軍のMiG-29Aフルクラムの空中戦であり、この出来事により航空界においては飛躍的に紛争の知名度が増した。
ちなみにSu-27はロシアから、MiG-29はウクライナから輸入したと言う*1。
両軍の航空兵力(推測) †
- エリトリア空軍
- エチオピア空軍
固定翼機 Su-27SK/UBフランカー 4機 MiG-21MF/USフィッシュベット・モンゴル 18機以下 MiG-23BN/UBフロッガー 10機以下 L-39Cアルバトロス 7機 C-130Bハーキュリーズ 4機 An-12BPカブ 5機 An-26カール? 1機 An-32クライン? 1機 YaK-40コドリング? 1機 SF.260TP 8機 回転翼機 Mi-8Tヒップ 14機以下 Mi-14PLヘイズ 2機 Mi-17ヒップ 機数不明 Mi-24ハインド 15機以下 SA330Hピューマ 1機 S.208M 1機
- エチオピア陸軍
固定翼機 セスナ401 1機 DHC-6-300ツインオター 2機 回転翼機 UH-1Hイロコイ 4機