- バックアップ一覧
- 差分 を表示
- 現在との差分 を表示
- ソース を表示
- 秋水 へ行く。
- 1 (2019-02-08 (金) 13:36:10)
- 2 (2019-02-08 (金) 13:50:22)
- 3 (2019-02-09 (土) 01:51:38)
- 4 (2019-02-09 (土) 17:43:16)
- 5 (2019-05-06 (月) 09:13:04)
- 6 (2019-09-08 (日) 09:02:17)
- 7 (2020-04-04 (土) 18:14:04)
- 8 (2021-06-05 (土) 07:55:17)
- 9 (2022-02-16 (水) 07:00:10)
- 10 (2022-08-24 (水) 06:02:02)
- 11 (2022-09-10 (土) 22:58:35)
- 12 (2022-09-15 (木) 17:51:14)
- 13 (2022-10-06 (木) 21:02:20)
- 14 (2022-10-10 (月) 23:49:11)
- 15 (2022-10-13 (木) 19:11:22)
【秋水】 †
三菱・J8M(キ200)「秋水」。
第二次世界大戦末期、日本陸軍と日本海軍が共同で開発・生産したロケット推進迎撃戦闘機。
ドイツのMe163コメットの図面を基に開発された。
当初はMe163の技術資料が潜水艦でドイツから送られてくることになっていたが、その潜水艦がシンガポール出港後に撃沈されてしまう。
しかし、同艦に便乗していた者がシンガポールで零式輸送機に乗り換えて日本へ向かったため、資料の完全な散逸こそ免れたが、不完全な資料しか持ち込めなかった。
開発当時、日本軍部は本土へ空襲を仕掛けてくるB-29の迎撃に苦慮しており*1、燃料と酸化剤を機内に搭載するロケット戦闘機は有用と判断され、陸軍・海軍・民間の三者合同で開発が進められた*2。
1945年7月7日に初飛行が行われた本機は、終戦までに7機が生産されたのみに終わった。
*1 従来の戦闘機はエンジンに排気タービンを搭載していなかったため、B-29の飛行する高度10,000m圏内では高度を維持するのがやっとという状態だった。
*2 これは、セクショナリズムの弊害が強かった当時の日本では画期的なことであった。