Last-modified: 2015-12-04 (金) 08:32:34 (511d)

【国民義勇戦闘隊】(こくみんぎゆうせんとうたい)

第二次世界大戦末期の1945年、日本政府が連合国軍の日本本土侵攻に備えて編成した民兵組織。
同年8月、日本政府がポツダム宣言を受諾して連合国降伏したことにより存在理由を失い、降伏文書調印式の行われた9月2日に廃止された。
「義勇」と命名されてはいるが、実態は半ば強制的なものであり、いわゆる義勇兵ではない。

当初、この部隊は「国民義勇隊」と称されており、国民の組織的管理や工兵の簡易的な補助作業(空襲の焼け跡整理・陣地構築など)などを任務とし、戦闘には参加させない予定であった。
しかし1945年(昭和20年)6月23日*1に施行された「義勇兵役法」により、戦闘部隊として再編された。

この部隊には、15歳〜60歳までの非軍属の男性と17歳〜40歳までの女性、および自発的志願者を招集し、連合国軍の本土侵攻時に全国*2で最大2,800万人を動員する事を想定していた。

だが、その装備は江戸時代以前の火縄銃、粗製濫造の簡易銃、手製の手榴弾爆雷、弓矢、刀、銃剣つき木製模擬銃、鍬や鎌などの農具、木や竹を尖らせただけの槍などという――1世紀以上前の水準でしかなかった。
当時の日本は、アメリカ軍主体の連合国軍による戦略爆撃通商破壊戦によって完全に疲弊し、兵器生産に必要な工業生産施設がほとんど機能しなくなっていた。
また、1931年の満州事変から十数年に渡って戦争を続け、しかも1941年12月からの3年数ヶ月間は連合国との全面戦争になっていたため、わずかに残った工業生産施設を維持するだけの人的資源すら残されてはいなかった*3
結果、正規軍でさえ新兵にまともな装備品を供給できない*4状況下で、この部隊はさらに劣悪な装備状況に置かれていたのである。

戦時日本の末期的状況を示す逸話として有名な
「竹槍で爆撃機を撃墜しようとしていた」
というブラックジョークは、こうした悲惨な状況から生まれたという。


*1 奇しくもこの日は、沖縄の日本軍守備隊司令部が玉砕し、沖縄が連合国軍に占領された日でもあった。
*2 既に沖縄は陥落していた。また、1943年から日本本土に組み込まれていた南樺太も含まれている。
*3 一説によれば、どのような超大国でも国家総力戦が1年以上続けば経済が破綻するともいう。
*4 この時期、正規軍においても徴兵の年齢・身体的要件を大幅に緩和したり、在郷軍人を再招集したり、特技教育中の将兵の教育を中途で切り上げるなどして、40個師団以上の兵力を捻出していた。

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