Last-modified: 2022-09-20 (火) 19:00:29 (8d)

【ベルサイユ条約】(べるさいゆじょうやく)

1919年、第一次世界大戦に敗れたドイツと連合国との間で結ばれた講和条約。
フランスのベルサイユ宮殿で調印されたことからこう呼ばれる。
この条約を元にして、翌年、国際連盟が発足した。

パリ講和会議において調印されたもので、全247条の条文からなる。
敗戦国ドイツに課せられた義務はおおむね以下の通り。

  • 徴兵制の廃止
  • 陸軍を兵力10万人以下、将校4,000人以下に制限
  • 海軍を兵力1.5万人以下、艦艇36隻以下に制限
  • 空軍(ドイツ帝国陸軍航空隊)を解散し、全ての軍用航空機を廃棄
  • 潜水艦の保有禁止
  • 参謀本部の廃止
  • 各種軍需物資の生産の制限
  • バルト海沿岸における軍事施設の建設禁止
  • 海外植民地の放棄
  • 賠償金の支払い
  • 一部領土の割譲
  • 元ドイツ皇帝・ウィルヘルム鏡い鮴鑒箸箸靴動き渡す(自身がオランダへ亡命したため実現せず)

実態は連合国の既得権益確保と上記のようにドイツに対する極めて厳しい制裁を課すものであった。
また、これに合わせて列強の利害関係に伴う様々な個別の条約が結ばれ、その後のヨーロッパはベルサイユ体制?と呼ばれ、そのいびつな状態が第二次世界大戦の遠因となったとも言われている。

関連:ワイマール共和国 ドイツ革命? ベルサイユ体制?

賠償金の処理

ドイツは暫定的に金立て200億マルクの賠償金を支払うとされていたが、1921年に賠償金額策定委員会によって更に増額され、合わせて1320億マルクとなった。
これは1913年当時のドイツのGNP(国民総生産)の2.5倍以上にのぼり、国家経済に対して破滅的な影響を及ぼし得る金額だった。

この支払い義務による財政赤字を補うため、ドイツ中央銀行「ライヒスバンク」は紙幣を大量発行。
実体経済に対して貨幣流通量が増えすぎたためにインフレが発生した。
インフレによる物価高騰により、戦災復興のための輸入資材の価格も高騰。
復興財源のためにさらなる紙幣発行が繰り返され、さらにインフレが進行するという悪循環が形成された。

この理由から賠償金の支払も滞ったため、ベルギーやフランスはドイツのルール地方を占領して軍事的手段による賠償金の取り立てを試行。
これに反発したドイツ政府は占領者を利する事業を停止するよう指示し、それにより仕事を失った労働者を経済的に支援した。
この占領と抵抗運動もドイツ経済に甚大な打撃を与え、悪化した財政によりさらなる紙幣発行を余儀なくされ、これによってインフレがさらに進行。
最終的にドイツの紙幣は全くの無価値になるまでのハイパーインフレに陥り、兌換紙幣を廃止して土地を担保とする新紙幣に切り替えるに至った。

この混乱のため、賠償額の軽減(最終的には総額の1/8+30億マルクにまで減額された)、両替義務の撤廃(ドイツマルクでの支払いの許可)、賠償金支払のための債券発行などの措置が執られた。

その後、ドイツの政変(ナチ政権の発足)から第二次世界大戦に至る流れで支払が中断するも、支払義務そのものは旧西ドイツ、および再統一後のドイツにも引き継がれた。
賠償金に起因する債券が事実上完全に償却されたのは2010年で、ヴェルサイユ条約から91年後の事である。

現在もなお、約2000万ユーロ相当の債権が残存しているが、債権者からの請求が行われておらず、将来的には支払われないまま無効となる見込み。


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