【アドルフ・ガーラント】(あどるふ・がーらんと)

Adolf Galland(1912〜1996)
第二次世界大戦時のルフトバッフェの戦闘機総監。 最終階級は中将。 撃墜数は103機。

はじめは攻撃機パイロットであり、コンドル軍団?の一員としてスペイン内戦?で大きな戦功を立てていた。
第二次世界大戦勃発後の1940年4月、本人の希望により戦闘機部隊に配属される。 ドイツのベルギー侵攻開始の3日後にハリケーンを初撃墜すると、たった1ヶ月の間に17機の撃墜を記録し、愛機に描かれた「ミッキーマウス」のエンブレムと共に全軍に名を轟かせる。
さらにバトルオブブリテンでは、戦闘航空団司令でありながら先頭に立ち続け、4月の初撃墜から7ヵ月後の11月には50機の撃墜を達成し、翌1941年6月には柏葉剣付騎士十字章をドイツ全軍で最初に受章。12月には事故死した当時のトップエースウェルナー・メルダース?に代わり戦闘機総監に就任する。なお、この時点で撃墜数は94機。

要職である戦闘機総監のためしばらくは実戦から離れるが、非公式に出撃を数度行った上に撃墜もしたといわれている(非公式の出撃であるため撃墜とは認められていない)。

1945年1月、空軍のトップであるであるへルマン・ゲーリング?元帥と対立し戦闘機総監を罷免されてしまう。 その後はMe262を装備したJV44中隊を結成、各地のエースパイロットを集結した精鋭部隊を結成し、ドイツ本土の防空部隊として活動する。 しかし4月26日P-47により撃墜され脱出、負傷しそのまま終戦を迎えた。

戦後は2年間戦犯として服役した後、アルゼンチン空軍の招きにより空軍顧問に就任。退職後はドイツに帰国して起業し成功を収める。 また、著作The First and The Last(日本語翻訳:始まりと終わり)は300万部が出版された。

映画空軍大戦略(1969年)にアドバイザーとして参加し、自身もBf109を操縦したと言われている。


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