- バックアップ一覧
- 差分 を表示
- 現在との差分 を表示
- ソース を表示
- 四式戦闘機 へ行く。
- 1 (2017-10-09 (月) 10:47:02)
- 2 (2017-10-09 (月) 17:09:43)
- 3 (2017-10-12 (木) 21:39:07)
- 4 (2017-10-13 (金) 17:45:59)
- 5 (2019-08-11 (日) 10:52:21)
- 6 (2020-03-08 (日) 18:33:29)
- 7 (2020-06-07 (日) 17:12:12)
- 8 (2020-06-08 (月) 12:33:08)
- 9 (2021-07-03 (土) 12:52:43)
- 10 (2022-08-03 (水) 19:20:54)
- 11 (2022-08-04 (木) 10:57:57)
- 12 (2022-08-24 (水) 00:16:01)
- 13 (2022-08-24 (水) 03:16:47)
- 14 (2022-08-30 (火) 11:52:54)
- 15 (2022-08-30 (火) 18:53:16)
- 16 (2022-08-31 (水) 13:27:17)
- 17 (2022-09-14 (水) 18:43:28)
- 18 (2022-09-29 (木) 17:06:26)
- 19 (2022-09-30 (金) 18:52:01)
- 20 (2022-10-03 (月) 17:32:12)
- 21 (2022-11-23 (水) 00:07:36)
【四式戦闘機】 †
中島キ84・四式重戦闘機「疾風」。
1940年代、中島飛行機製作所(現在のSUBARU)が開発・生産し、日本陸軍に納入された重戦闘機。
連合国軍のコードネームは「
本機は九七式戦闘機〜一式戦闘機〜二式戦闘機「鍾馗」と続いてきた、中島製戦闘機の集大成ともいえる機体で、速度・武装・防弾・運動性・航続距離・操縦性及び生産性に優れた機体として1943年に完成、1944年に制式採用された。
機体の設計は一式・二式とあまり変わり映えのしないものであったが、機体の軽量化を図るために操縦系統を意図的に重く設定した。
このため、従来のような旋回を主体とする格闘戦が行いにくくなり、従来の機体に慣れ親しんだパイロットからは不評の声もあった。
しかし、高高度での操縦性や速度・防弾の面では陸海軍の他の戦闘機を上回っており、陸軍は本機を「大東亜決戦機」として量産した。
現在は一型甲の1機が鹿児島県・知覧の「知覧特攻平和会館」に収蔵・展示されている。