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【Z掃射機】 †
1940年代、日本の軍用機専業航空機メーカー「中島飛行機製作所(現在のSUBARUの前身)」が構想し、日本政府・軍部へ提唱した超大型爆撃機「富嶽」の派生型の一つとして考案された機体。
原型の「富嶽」からウェポンベイを撤去し、その代わりに胴体下部に数十〜数百もの機関砲・機関銃を搭載する援護戦闘機(あるいはガンシップ)であった。
中島飛行機の創始者・中島知久平が「富嶽」ファミリーの開発を政府・軍部へ提唱した「必勝防空計画」によると、本機は九九式20ミリ機関砲96門を搭載するタイプと九七式7.7ミリ機関銃400挺を搭載するタイプが考え出されていた。
前者は爆撃機編隊に随行し、主に敵の航空機を(迎撃戦闘機の上ってこれない)超高空から攻撃する「援護戦闘機」として使うことを考えており、一方、後者は敵艦船の対空火器や航空母艦の飛行甲板、地上の歩兵や非装甲車両、列車などといった軟目標を攻撃するガンシップとして使うことを目指していたという。