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*&ruby(ぶいしーてん){【VC-10】}; [#y75fe29a]
Vickers VC-10.~
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1950〜1960年代、英国のヴィッカース社が開発・生産していた長距離用[[四発>多発機]]ジェット[[旅客機]]。~
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本機の開発は、1950年代にヴィッカース社が[[ヴァリアント>バリアント]][[爆撃機]]をもとに拡大した[[英国空軍>RAF]]向け長距離[[輸送機]]型の「V1000」と、民間旅客機型の「VC7」に由来する。~
しかし、ヴァリアントに機体構造上の欠陥が明らかになったことからRAFがV1000の仮発注をキャンセルしたことと、VC7の[[ローンチカスタマー]]になる予定だった[[英国海外航空(BOAC)>ブリティッシュ・エアウェイズ]]が興味を示さなかったため、双方ともキャンセルされてしまう。~
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この頃、BOACは世界初のジェット旅客機である「[[コメット]]」と米国[[ボーイング社]]製の[[B707]]を運用していたが、前者は原設計が1940年代の機体であってすでに旧式化しており、一方のB707は南アジアやアフリカ方面(MREルート((Medium-Range Empire. 中距離帝国ルート。)))への運航には過大なうえ、[[エンジン]]の出力不足で[[高度]]の高い[[空港]]での[[離>離陸]][[着陸]]に難があり、[[ペイロード]]が大きく減ることが問題となっていた。~
この頃、BOACは世界初のジェット旅客機である「[[コメット]]」と米国[[ボーイング社>ボーイング]]製の[[B707]]を運用していたが、前者は原設計が1940年代の機体であってすでに旧式化しており、一方のB707は南アジアやアフリカ方面(MREルート((Medium-Range Empire. 中距離帝国ルート。)))への運航には過大なうえ、[[エンジン]]の出力不足で[[高度]]の高い[[空港]]での[[離>離陸]][[着陸]]に難があり、[[ペイロード]]が大きく減ることが問題となっていた。~
そこで、BOACは改めてMREルート用のジェット旅客機の開発を各メーカーに打診し、これにヴィッカース社が応えたのが本機である。~
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こうして完成した本機は、[[T尾翼]]に4基の[[ジェットエンジン]]を機体後部につけるという独特な形状をしていた((なお、このレイアウトはソ連の[[スパイ]]によりソ連に持ち帰られ、同国でイリューシン[[Il-62]]の設計に転用されている。))。~
また、[[主翼]]には高[[亜音速]]巡航を可能にする翼型を採用した他、複式自動着陸装置など当時最新の[[アビオニクス]]を搭載したが、そのために開発費が高騰した上に実用化に時間がかかる結果となってしまい、「[[ヴァイカウント>バイカウント]]で得た利益を吐き出しただけ」と揶揄される結果になってしまった。~
加えて、エンジンもレイアウトの関係上、低〜中[[バイパス比]]のものしか搭載できず、後年の[[高バイパス比>バイパス比]]エンジン搭載機に比べて騒音が大きくなってしまった((地上では本機が遠くに位置していても、いつ頭上に飛来するか容易に分かったという。))。~
>その反面、優秀な[[STOL]]性を獲得することができたという利点もあった。

計画着手から50機受注したものの、[[初飛行]]が1962年という遅さでは追加受注もなく、1964年になってようやく初号機がロンドン〜ラゴス間に就航した((これは、ライバル機の[[B707]]に遅れること6年、[[ダグラス]][[DC-8]]に遅れること5年という結果であった。))。~
その後、胴体の延長とエンジンを強化した「スーパーVC-10」も開発されたが受注は振るわず、1970年に64機で生産が打ち切られてしまう。~
更に[[中東戦争]]の結果として起きた「オイルショック」により、高燃費なエンジンの本機は早々と引退してしまい、1980年代には民間航路から姿を消すことになる。~
>BOACとその後継の[[ブリティッシュ・エアウェイズ]]が乗り入れに用いていた他、[[英国王室専用機>政府専用機]]として各国を歴訪していたため、日本でもなじみの深い機体であった。

また、本機は[[RAF]]によって[[空中給油機]]としても用いられていた。~
空中給油機としては、胴体にエンジンを装備しているため、主翼に給油[[ポッド]]を搭載しても被給油機がジェット後流に巻き込まれる心配がないという利点があった。~
この給油機型も後継の[[A330 MRTT>A330]]に任務を譲り、引退している。~


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