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P-63
【P-63】 †
Bell P-63
ベル・エアクラフトが開発し、第二次世界大戦期のアメリカ陸軍航空隊、ソ連空軍などで運用された単発レシプロ戦闘機。
開発 †
第二次世界大戦期、ベル社が開発し米陸軍航空隊?などが運用していたP-39「エアラコブラ」は特徴的な設計をもつ革新的な戦闘機であったが、一方で高高度における性能低下、飛行安定性の低さなど問題点が存在した。
これらを是正すべく試作された「XP-39E」は新型スーパーチャージャー付きエンジンや翼形の変更などの改設計を加えられた機体で、原型のP-39D初期型と比べて大きな性能向上を見せた。この機体自体は不採用に終わるも、1941年6月、軍はXP-39Eからさらに大規模な設計変更を加えた新型戦闘機「XP-63」の開発をベル社に指示した。
その後の1942年9月、XP-63は初飛行以前にも関わらず「P-63」として採用が決定、1942年12月には試作機が初飛行した。
その後、数度の墜落事故を起こしながらも飛行テストは進行し、初期生産型のP-63Aが軍へ配備されたのは1943年10月頃となった。
特徴 †
操縦席後部に搭載されたエンジンから延長軸によって回転するプロペラ、スピナーから発射する37mm機関砲など、本機の前身であるP-39の設計と似た部分が多いが、機体寸法全般を拡大することで飛行安定性の向上が図られている。
また、搭載エンジンをアリソン社の2段2速スーパーチャージャー付き「V-1710」としたことで高高度での性能は必要十分なものとなった。
飛行テストでは、時速443km時に当時の戦闘機としては非常に優れる毎秒110°の横転率?を発揮した。
戦史 †
本機が米陸軍航空隊?に部隊配備された1944年頃には既に実用的な高性能戦闘機(P-47D、P-51Dなど)が十分な生産体制に移行していた。そのため、主にアメリカ本国のパイロット育成学校で練習機や標的機として運用された。
また、ソビエト軍も1944年2月頃からレンド・リースによって供与された本機を運用、1945年5月頃には1,148機を保有していた。ただし、1943年のアメリカとの協定から独ソ戦での戦闘には本機は参戦しなかったとされている*1。
一方、1945年8月7日以降の日本との戦闘には相当数の本機が駆り出され、同月15日には北朝鮮沖でP-63が一式戦闘機「隼」1機撃墜を記録し、P-63の初戦果となった。
戦後は、ホンジュラス空軍や再建から間もないフランス空軍に供与され、特にフランスの機体はインドシナ戦争の対地攻撃任務で1951年9月まで運用された。
また、民間に売り払われた退役機の多さから、エアレース用に改造された機体も存在する。
生産期間は1943年から1945年までで、総生産数は3,303機であった。