【F型論争】(えふがたろんそう)

F型論争とは、第二次世界大戦期のドイツ空軍パイロット間で発生した意見対立である。

第二次世界大戦初期、ドイツ空軍の主力戦闘機はDB 601エンジンを搭載するBf 109 Eであった。このタイプはその後のフランス侵攻やバトル・オブ・ブリテンでも運用された。
しかし、このE型は開発側及びドイツ空軍にとっては不完全な機体であった。
旧態然とした空力設計は明らかに機体性能を損ねており、またDB 601エンジンの搭載当初から予定されていた機関砲のモーターカノン装備に失敗し、応急的にそれらを両翼内に装備した、などといった問題点のあるこの型は、1940年8月から生産の開始されたBf 109 Fに順次更新されることとなった。

F型は従来から機体設計を大きく刷新した。
空力的に大きな改善のなされたこの型は、E型と同じエンジンを搭載しながらも速度性能は50km/h近く優位となり運動性能全般も向上、機関砲を翼内装備からモーターカノン装備としたことで射撃命中率の向上を狙った。
一方、F型はE型に存在した翼内武装を廃止したため、固定武装の数、すなわち火力面では劣った。

その点について、ドイツ空軍のパイロット間で意見が分かれた。
例えば、大戦中のドイツ空軍全体で第二位、第三位の撃墜数を記録したゲルハルト・バルクホルンギュンター・ラル?などのベテランは運動性能向上からF型を好意的にとらえていた。

しかし、大戦初期から活躍、ナチスの宣伝政策によって当時非常に有名だったアドルフ・ガーランド?を始めとする「重武装派」は
"武装が機首に集中されてしまえば射撃時に有効な範囲が減り、未熟なパイロットが弾を当てられない"
"火力が低下すれば、敵機に命中弾を与えても撃墜しきれない"
などと主張、F型に否定的であった*1


*1 のちに、この主張はガーランドの有名さからドイツ航空相ヘルマン・ゲーリング?にまで届くこととなり、結果としてBf 109 F特別改造型がガーランドの元に届けられた。

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