*&ruby(わんがんせんそう){【湾岸戦争】};
the Gulfwar~
1991年、多国籍軍とイラク軍の間に起こった戦争。~
勃発の引き金は90年、イラクがクウェートに侵攻したことに始まる。その年の11月29日、国連安保理外相級公式協議でイラクに91年1月15日までのクウェート無条件撤退を最後通告、従わなければ加盟国の武力行使を容認と決議。しかし翌日11月30日、イラクは徹底抗戦を表明。そして91年1月16日最後通告の期限が切れ、翌17日多国籍軍がイラク、クウェート領内に[[空爆]]開始。湾岸戦争が勃発した。~
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[[多国籍軍]]は開戦初日から過去例が無い規模の航空作戦を実施する。最初の目標は[[航空優勢]]の確保であった。その効果は凄まじく、多数のSAMと迎撃[[戦闘機]]を配備し、世界でも有数の防空システムを持つといわれたイラクの[[カリ]]の防空能力は3日で1/10に低下し沈黙した。~
イラクの防空部隊は[[AWACS]]や[[電子戦機]]による高度な運用を行っていた多国籍軍に全く歯が立たなかったのである。~
防空網制圧後は地上軍およびイラク本土の戦略目標にその刃が向けられた。その中でも[[誘導爆弾]]を使用する[[F-117]]や[[F-111]]、[[F-15E>F-15]]は高い精度で攻撃を成功させていった。次々と建造物や車両が破壊されていく[[FLIR]]の映像は世界中の家庭に配信され、[[ピンポイント爆撃]]、[[精密爆撃]]という言葉を生んだ(なお[[LANTIRN]]不足により[[F-16]]、[[F/A-18]]は殆どを誘導爆弾を使用しなかった)。~
さらに[[F-117]]は損害を受ける事無く防空網の厚いバグダッドの目標を破壊するなど、[[ステルス]]機の能力を世に知らしめた。~
湾岸戦争は航空戦の最大の転換期であった。~
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航空戦に引き続き、2月24日午前4時に地上戦が開始され、まずアメリカ[[海兵隊]]がクェート国境の「サダム・フセインライン」に攻撃を開始、当初激しい反撃が懸念されたが、先の航空戦で殆ど戦意を失ったイラク軍は次々と投降、初期の突破作戦は成功する。~
一方、アメリカ陸軍を中心とする多国籍軍主力はその防衛ラインを迂回、イラク軍側面を突く作戦を敢行する。アメリカ軍[[M1]][[主力戦車]]、イギリス軍[[チャレンジャー]]を中心とする[[戦車]]1600両、支援車両5万両の大部隊が攻撃を行い、数の上では劣勢であったが、(イラク軍[[戦車]]は旧ソ連製を中心とする約2600両、火砲約1800門)装備と練度に勝る多国籍軍がイラク軍を圧倒、2月28日午前8時に停戦となり、地上戦は100時間あまりで終了した。~
この戦闘ではイラク軍は莫大な車両を失ったが、多国籍軍の被害は実に数十両に過ぎず、一方的な戦闘となった。 「高性能」を謳われ、ソ連の外貨獲得の一翼を担っていた旧ソ連製[[戦車]]が、西側[[戦車]]に完膚無きまでに叩きのめされ大幅に輸出が減少したことも有名である。~
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Photo: USAF

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