*&ruby(いおうとうのたたかい){【硫黄島の戦い】}; [#q5040b44]

|>|>|戦闘概要|
|>|戦争|[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])|
|>|年月日|1945年(昭和20年)2月19日〜3月26日|
|>|戦場|[[硫黄島]]|
|>|結果|[[アメリカ軍]]の勝利|
|交戦勢力|枢軸国|大日本帝国|
|~|連合国|アメリカ合衆国|
|戦力|[[日本軍]]|22,786人|
|~|[[アメリカ軍]]|110,000人|
|損害|[[日本軍]]|戦死者20,129人(うち82人は軍属)、捕虜1,023人|
|~|[[アメリカ軍]]|戦死者6,821人、戦傷者21,865人|

[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])の末期において、小笠原諸島・[[硫黄島]]において[[日本軍]]と[[アメリカ軍]]の間で生じた戦闘。

**背景 [#ocea4bb1]
日本を徐々に追い詰めていたアメリカ軍は、マリアナ諸島を攻略し、そこから[[戦略爆撃機]]「[[B-29]]」を日本本土に飛ばし、[[戦略爆撃]]を行っていた。~
しかし、[[航法]]ミスや損傷、故障などでマリアナ諸島にたどり着けず、さらに[[日本軍]]の[[爆撃機]]が硫黄島を経由して、マリアナ諸島の基地に駐機するB-29に損害を与えるということがあった。~
~
アメリカ軍は、B-29の航法上のロス解消や日本軍の航空基地制圧などを目的に硫黄島の占領を決定した。

**戦闘 [#ebbe2b0f]
[[アメリカ海兵隊]](第3・第4・第5海兵師団主力)は2月19日、硫黄島に上陸を開始。~
アメリカ軍は当初、(それまでの島嶼攻略戦の経験から)すぐに攻略できると踏んでいたが、栗林忠道[[中将]]率いる日本軍小笠原兵団の決死の抵抗により苦戦。~
長大なトンネルで防御陣地を構築した日本軍は、数万発以上の地形が変わるほどの凄まじい上陸前の艦砲射撃に耐え、待ち伏せすると海兵隊の上陸部隊に猛攻を加え、多大な損害を与えた。~
日本軍守備隊は「一人十殺」の覚悟で[[万歳突撃>バンザイアタック]]をせず、硫黄島の特徴的な地形を駆使した地下[[要塞]]をもって奇襲攻撃を繰り返し、大火力をアメリカ軍に加えた。~
結果、アメリカ軍の犠牲者は上陸して数時間で数千人になり、[[第二次世界大戦]]で最大の上陸作戦といわれる「[[ノルマンディー上陸作戦]]」を上回る激戦となった。~
~
それでも物量に勝る[[アメリカ軍]]は日本軍を徐々に追い詰め、苦戦を強いられながらも硫黄島最高峰の擂鉢山を占領した。~
必死の抵抗を続ける日本軍は300名余りが最後の攻撃を仕掛けるが、[[玉砕]]。~
栗林中将((3月17日付で、当時、日本陸海軍最年少の[[大将]]に昇進していた。))もここで自決し((ただし遺体が発見されておらず、最期は正確にはわかっていない。))、組織的戦闘はここで終結した。~
~
後援・救護部隊を持たなかった日本軍は96%の損傷率となり、アメリカ軍も戦死者・戦傷者の合計が日本軍の兵員を上回る激戦となった。((今でも上陸初日に被った戦死者501名は、1日の戦闘で生じた損害として海兵隊史上最悪の数字であり、開戦わずか3日でノルマンディー上陸作戦の戦死傷者数を上回るなど、[[第二次世界大戦]]を通じて最大の激戦だった。))

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