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【特別攻撃】 †
車両・艦船・航空機等が、人が乗り込んだまま目標に衝突し、搭乗員の自殺と引き替えに打撃を与える攻撃方法。
「特攻」と略された言い方が一般的で、今日では「体当たり攻撃」と同義語に扱われる事が多い。
生還を見込めない絶望的状況に陥った兵士が敵を道連れにしようと無謀な攻撃に出る事例は枚挙に暇がない。
しかし、それは普通、死を避けられない状況に陥った後で決意され実行されるものである。
軍隊が正規の作戦として事前に計画し、組織的・継続的に行われる事例は太平洋戦争末期の日本を除いて類を見ない。
同時代にはソ連軍におけるタラーン戦術、ドイツ空軍のゾンダーコマンド・エルベなどの類例がある。
しかし、いずれも将兵を生還させるための努力は最低限行われており、生還を許さない日本軍の「特攻」は群を抜いて異質である。
日本軍は1944年10月のレイテ沖海戦で初めて軍として組織だった特別攻撃を実行。
その後、特別攻撃を除くいかなる戦術にも応用できない奇怪な兵器群を次々と設計、実戦に投入した。
特攻兵器は総じて効率的な攻撃に必要な機動力・自衛能力に欠ける傾向にあり、大抵は戦果を挙げる事なく迎撃を受けて散った。
しかし極めて希に直撃して打撃を与える事に成功した事例もあり、それらは通常攻撃よりも派手な戦果を挙げて軍の参謀たちを喜ばせたという。
なお、特攻兵器の乗員は攻撃の機会がなければ帰還したが、生還者は敵前逃亡扱いを受けて隔離・軟禁・再出撃を強いられる運命にあった。
後世、日本軍のこの行動は「常軌を逸した愚行」「戦場の狂気の代表例」などと語り継がれている。
しかし、あえて人権上の問題を無視して考えるなら、末期戦という常軌を逸した狂気の状況下で戦う手段としては一定の合理性を認められる。
コスト・パフォーマンスも実際それほど(当時選び得た他の選択肢に比べて)悪くはなかったものと考えられる。
丹精込めて育て上げた陸海軍の精鋭はすでに全滅同然であったため、機体の生存性はもはや促成軍人の平均余命に有意な影響を与えなかっただろう。
すでに事実上の壊滅状態にあった日本軍は、それでも特別攻撃という選択によって、なおアメリカに流血を強要し続ける事ができた。
そこまでして戦い続ける意味があったか、という疑問は敗北主義的見地からは当然出てくる。
これは思想の違いに帰結する問題だが、敵に強いた流血が戦後日本の運命に対して無益であったと考えるのは公平ではないだろう。
もちろん、自国民に死を強要する事が戦後日本の運命に対して無害であったと考えるのも公平ではないが。
旧日本軍の特別攻撃兵器群 †
- 桜花
- 人間が終端誘導を行う対艦ミサイル。
- 梅花
- パルスジェット?推進特攻機。設計途中で終戦。
- 剣(キ115)
- 元々は単座爆撃機として設計されていた。105機完成も終戦により使用されず。
- 藤花
- 剣のエンジンをハ33(金星?)に換装した海軍型。終戦により製造されず。
- 桜弾機(キ167)
- 四式重爆撃機の胴体に対艦用大型爆弾「桜弾」を搭載したもの。
- 神龍
- 固体燃料ロケットを搭載した木製特攻グライダー。試作のみ。
- タ号
- 本土決戦用に開発された全木製特攻機。製作中に終戦。
- 回天
- 九三式三型魚雷(酸素魚雷)を改装して人間を乗せた潜水艇*1。
通称「人間魚雷」。 - 海龍
- 特殊潜航艇。秘匿名称で「〇三金物」「SS金物」と呼ばれた。
本土決戦用の特攻兵器として開発されたが、終戦により大規模投入されず。 - 震洋
- 船首に炸薬を満載したベニヤ板製モーターボート(内火艇)。
秘匿名称で「〇四金物」、「〇四艇」と呼ばれた。 - 四式肉薄攻撃艇
- 爆雷を搭載した内火艇。通称「マルレ艇」。
厳密には特攻前提の兵器ではない*2が、生還可能性という観点で見れば大差ない。 - 伏龍
- 上陸用舟艇を水際で迎撃するために開発された、通称「人間機雷」。
潜水具を着けた人間が槍か銛のように棒付きの機雷を構え、直接敵艦を突こうとした。
特別攻撃から自爆テロへ †
近年のテロリズムにおいて広範に用いられる「自爆テロ」は、この特別攻撃と同一視される向きがある。
特別攻撃を実行したパイロット達が「神風特攻隊」と称された事から、"Kamikaze"は自爆テロ・自殺的テロの代名詞となっている。
これをして、終戦後に出現した日本人テロリストが旧日本軍のノウハウを継承し、それが中東の共産主義テロリストを通じて世界に拡散したものとみる向きもある。
ただし、当の日本人テロリストにはそのような自殺攻撃の思想も運用法も(そして自殺を決意させるような求心力も)特段なかったものと思われる。
「特別攻撃」という歴史的事実が伝わり、そこから独自に自爆テロのドクトリンが構築されたとみるべきだろう。
体系的に整備されたドクトリンをもって組織的に自爆テロが実行され始めたのは1980年代以降であり、特別攻撃とは時間的な断絶もある。
自爆テロ戦術が体系化されたのは冷戦末期以降で、西暦2000年までの10年ほどで全世界のテロリズムに波及していった。
主たる要因はソビエト崩壊にまで至る旧共産圏の退潮にあり、ことさら末期ソビエトが世界情勢に介入する余力を喪っていた事に因る。
共産主義テロリストは共産圏から非公式に経済的支援を受けていたが、それは冷戦末期に途絶し始め、二度と復旧する事はなかった。
反政府テロリズムは基本的に内戦を経て独立ないしクーデターによる勝利を目指すのだが、兵站を共産圏に依存していた場合、それは事実上不可能になった。
結果、勝利を望み得ないほど困窮したテロリストの多くが、存続していくために敵に流血を強いる“末期戦”の様相を呈している。