- バックアップ一覧
- 差分 を表示
- 現在との差分 を表示
- ソース を表示
- 第101建設隊 へ行く。
- 1 (2013-02-07 (木) 22:37:55)
- 2 (2013-02-07 (木) 22:59:37)
- 3 (2013-02-09 (土) 00:19:28)
- 4 (2013-02-10 (日) 20:37:41)
- 5 (2013-03-04 (月) 23:23:31)
- 6 (2014-02-07 (金) 19:42:59)
- 7 (2014-12-29 (月) 22:33:16)
- 8 (2015-08-28 (金) 11:34:12)
- 9 (2018-04-28 (土) 10:27:09)
- 10 (2021-01-28 (木) 12:48:46)
- 11 (2021-01-29 (金) 07:10:10)
- 12 (2022-02-13 (日) 06:53:06)
- 13 (2022-02-13 (日) 18:28:22)
- 14 (2022-03-12 (土) 07:41:26)
- 15 (2022-10-22 (土) 10:45:10)
- 16 (2023-03-19 (日) 12:27:11)
- 17 (2023-06-10 (土) 10:16:17)
【第101建設隊】 †
かつて陸上自衛隊に存在した施設科(工兵)部隊のひとつ。
自衛隊が運用する鉄道施設の建設、災害で破壊された鉄道施設の復旧*2や列車による兵站輸送*3を任務としていた。
陸自が創設された1950年代当時、日本国内の道路網はまだ未整備*4で、陸上交通は日本国有鉄道(国鉄)が全国各地に敷設した鉄道網が主体となっていた。
したがって、平時・有事の兵站輸送にはこれを活用せざるを得なかったが、当時の国鉄では激しい労使紛争が続いており、安定した運行が保証しづらい状況にあった。
こうした事態を重く見た陸上幕僚監部により、急遽編成された鉄道部隊が本隊であった。
本隊は1960年、東京都・立川駐屯地*5にて編制。
国鉄から譲り受けた旧式の蒸気機関車や旧陸軍鉄道連隊が使用していた車輌、及び鉄道連隊が千葉県・津田沼に敷設していた演習線路を譲り受け、活動を開始した。
しかし、本隊が創設されて以後、急速に進んだモータリゼーションに伴う道路網の整備も進み、自動車による部隊の機動や兵站輸送がたやすくなっていった。
そうした趨勢に伴い、陸幕は本隊の存在意義を財政当局(旧大蔵省)に対して説明することができず、「予算使用の非効率さ*6」を指摘されてしまったこともあり、1966年に解隊を余儀なくされた。
主な装備 †
- 9600型蒸気機関車(9677):国鉄より譲り受けたもの。ナンバーは従来のとおりだったが、運転室側面に桜に「E*7」の字を入れたマークがつけられた。
- 0-4-0(B)式蒸気機関車:陸自輸送学校が教材として譲り受けていたもの。現在は栃木県那須烏山市の那珂川清流鉄道保存会で保存されている。
- 一〇〇式鉄道牽引車:旧陸軍鉄道連隊が使用していたもの。
- ワム3500型有蓋車(ワム5014):国鉄より譲り受けたもの。車両解結(連結及び解放)訓練のほか、作業時の授業や休憩用にも使用された。
書類上は国鉄総武線の小岩駅(東京都江戸川区所在)に常駐、という扱いにされていた。 - 九七式軽貨車:旧陸軍鉄道連隊が使用していたもの。
*1 後に北部方面隊の指揮下に移され、第3施設団(現在の北部方面施設隊)隷下となったが廃止。
*2 1963年1月の「昭和38年1月豪雪」や1964年の新潟地震における災害派遣などの実績があった。
*3 国鉄が大規模ストライキを敢行した際の運行確保や、日本国内に敵国軍の正規部隊が着上陸侵攻し、国内が戦場化した際の国民への生活必需品輸送も含まれていた。
*4 現在のように高速道路もなく、一般道も、東京や大阪といった大都市中心部以外では一級国道でさえ舗装されていない区間が多かった。
*5 現在の東立川駐屯地。
*6 特に国鉄から譲り受けた旧式蒸気機関車の維持費が指摘の的となった。
*7 技術部隊を表すEngineeringの略号。