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【大村飛行場】 †
長崎県大村市に所在する軍民共用飛行場。
かつては「大村空港」「長崎空港A滑走路地区」と呼ばれていた。
本飛行場の歴史は、大正時代に大日本帝国海軍により開設された「大村海軍航空隊」の飛行場に始まる。
第二次世界大戦開戦前は、日中戦争における海軍航空隊の重要な出撃基地とされ、本飛行場から中国大陸に直接向かい、空爆を行っていた。
開戦後には航空機の製造・補修工場や武器弾薬の補給拠点も増設され、重要な兵站基地として機能した他、終戦直前には特別攻撃隊の出撃基地ともなっていた。
終戦後、発足した海上自衛隊が航空部隊をこの地に設置。
同時期に民間にも開放され、「大村空港」となった。
1975年に対岸の箕島を利用して海上滑走路が竣工してからは「長崎空港」となり、本飛行場はその「A滑走路地区」、箕島側の滑走路は「B滑走路地区」と呼ばれていた*1。
その後、2011年に長崎空港A滑走路地区として用いられていたエリアが国土交通省から防衛省に移管され「大村飛行場」として独立した飛行場となった。
現在は海上自衛隊が航空基地「大村航空基地(JMSDF Omura Air Base)」を置いており、護衛艦搭載ヘリコプターの基地として用いられている他、民間の軽飛行機や長崎県警察・長崎県防災航空隊のヘリコプターも離着陸している。
また、本飛行場と長崎空港の間の大村湾水面に、US-1/US-2飛行艇の離着水用水面(シードローム)が設定されている。
所在の官公庁航空組織 †
- 海上自衛隊大村航空基地(JMSDF Omura Air Base)
- 第22航空群第22航空隊
- 第221飛行隊・第222飛行隊・第223飛行隊(SH-60J/SH-60Kを配備。佐世保を母港とする第2護衛隊群と第13護衛隊、呉を母港とする第4護衛隊群と第12護衛隊の護衛艦艦載ヘリコプター部隊)
- 第224飛行隊(UH-60Jを配備。水難救助のほか、五島列島や壱岐島・対馬の急患搬送なども行う)*2
- 第22航空群第22航空隊
- 長崎県警察本部地域部初動警察支援隊
- 長崎県庁危機管理監危機管理課
- 長崎県防災航空隊(AS365N3(愛称「ながさき」)を配備*4。運航はオリエンタルエアブリッジに委託)
- 長崎県防災航空隊(AS365N3(愛称「ながさき」)を配備*4。運航はオリエンタルエアブリッジに委託)
*1 民間機のターミナルビルはこの時に箕島側(B滑走路地区)に移転している。
*2 なお、本隊は陸海空自衛隊の中で災害派遣出動の頻度が最も高い部隊でもある。
*3 初代「さいかい」はベル206L-3。
*4 平成24年3月31日までは、BK117C-1「ながさき」を配備。