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旧日本海軍の水上戦闘機 太平洋戦域の作戦において、占領した島嶼や進出先に陸上基地を整備するまでの間、制空権を確保するための専用水上戦闘機に強い関心を持った海軍は昭和15年9月に川西航空機に対して十五試高速水上戦闘機の試作を指示し、完成までの代用機として中島の二式水戦を作らせた。 水上戦闘機はフロート付きとなるため、陸上機と同等の速度と運動性を確保するために主翼は空力特性と失速点で優れる中翼形状、主翼構造は当時最新のLB翼とし、その主翼には川西が独自に開発した自動空戦フラップが採用された。また、二重反転プロペラも計画されたが実用性に難があったため試作1号機のみで以降は通常の3翅プロペラでの開発となった。発動機は使用可能なものの中で最強の出力を持つ「火星」を採用し、水上戦闘機としては驚異的な性能を発揮したが制式採用された昭和18年には戦局の推移から活躍の場は失われてしまっており、本土防空のため琵琶湖などに配備されたが大きな活躍はなく全部で97機の少数生産に終わった。