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【戒厳】 †
martial law
行政権・司法権を軍隊の管理下に置き、法律の一部を強権的に失効させる事。
より平易に表現すれば、軍隊が「法律よりも我々の命令に従え。従わなければ射殺する」と宣言する事。
事前に制定された法令に基づいて行われ、法令に基づいて終了する場合は特に「戒厳令」という。
法令としてはクーデターや紛争に類する国家の緊急事態でのみ宣言を認めるのが一般的。
ただし、戒厳を宣言する指揮官が特に命じた場合、戒厳を定める法令そのものも失効する。
クーデターの実行者自身が「勝利宣言」として発令する事も多い。
政府の統制が破壊された際、軍隊が独自の判断で国民を保護するために宣言する事もある。
日本においての戒厳 †
現在の日本国に、戒厳について定める法令は存在しない*1。
しかし、かつての太政官制度下・大日本帝国憲法下(1868年〜1945年)では存在し、数回に渡って発令された。
具体的には、大日本帝国憲法第14条の第1項に「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス*2」、同2項に「戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム*3」と定められ、これより以前の明治15年(1883年)に太政官布告として発布された「戒厳令」で具体的な手続きが定められていた。
戒厳令による戒厳の区分には次の2種類があった。
- 臨戦地境戒厳
- 戦時にあって警戒を要する地域に発令。軍事に関する案件に限り、行政・司法の権限が当地の守備を担当する軍司令官に移される。
- 合囲地境戒厳
- 敵に包囲されている、もしくは攻撃を受けている地域に発令。行政・司法の一切の権限が当地の守備を担当する軍司令官に移される。
このうち、実際に発令されたのは後述の通り、日清・日露戦争時の臨戦地境戒厳のみであり、合囲地境戒厳は発令されなかった*4。
また、この他に東京周辺が騒乱状態になったときに、これを鎮圧するために「緊急勅令」による戒厳が宣告されたこともある。
この場合、戒厳を宣告する緊急勅令では「一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スル」とし、爾後「必要ノ規定」に該当する条文を後続の緊急勅令で限定的に列挙した。
戒厳の実例 †
日本史上で戒厳が発令された事例は以下の通り。
- 日清戦争
- 臨戦地域を軍事的な警戒態勢下に置く目的で臨戦地境戒厳を発令。
宣告されたのは広島市宇品地区。 - 日露戦争
- 臨戦地域を軍事的な警戒態勢下に置く目的で臨戦地境戒厳を発令。
宣告されたのは長崎市、佐世保市、対馬、函館市、台湾、澎湖島、馬公要港。 - 日比谷焼打事件
- 東京周辺において、ポーツマス条約反対暴動による騒乱を鎮圧する目的で緊急勅令により発令。
1905年9月6日発令、11月29日終了。 - 関東大震災
- 東京周辺において、災害による騒乱を鎮圧する目的で緊急勅令により発令。
1923年9月2日発令、11月15日終了。 - 二・二六事件
- 東京周辺において、クーデターによる騒乱を鎮圧する目的で緊急勅令により発令。
1936年2月27日発令、7月16日終了。
*1 いわゆる有事法制がこれに近いが、これは国会の事前承認に基づく「非常事態権」に類するものとされている。
日本国憲法との整合性の問題があるため、現行法制では戒厳のような本格的な国家緊急権は認められていない。
*2 「天皇は戒厳を宣告する」の意。
*3 「戒厳の要件および効力は、法律をもってこれを定める」の意。
*4 大東亜戦争末期には陸軍参謀本部で全国に対して発令が検討されたというが、「敵に弱みを見せる」という理由で見送られたという。