*&ruby(ろっくいわさき){【ロック岩崎】}; [#oaeacfa5]
本名:&ruby(いわさきたかひろ){岩崎貴弘};(1951生〜2005没)~
20世紀末期に活躍し、日本初の民間アクロバットチームを主宰した曲技飛行家・元[[航空自衛官>自衛官]]((自衛官としての最終階級は二等空佐。))。~
「ロック」の名は[[航空自衛隊]]在籍時につけられた[[TACネーム]]であったが、現在でも愛称として定着している。~
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1970年3月、[[航空自衛隊]]に第26期[[航空学生]]として入隊。~
空自では、[[F-86]]・[[F-104]]・[[F-15]]に至る現代戦闘機の隆盛を辿りながら、数々の逸話を残した。~
[[F-15]]で低空における「ナイフエッジ」飛行を成功させたり、「横転コルク抜き」という[[空戦機動>マニューバー]]を編み出した事で有名。~
また、[[F-104]]に搭乗している時に、当時最新鋭の[[F-15]]をひっさげてやってきた[[アメリカ空軍>USAF]]との模擬戦において、圧倒的な性能差がありながら見事[[撃墜]]をとるという快挙をなしとげた。~
後に自分が[[F-15]]に搭乗している時期に、今度は[[F-15]]よりも軽量で機動性に優れた[[F-16]]で挑んできた米軍を見事な機転で返り討ちにしてしまうなど、テクニックとセンスを兼ね備えた天才的パイロットであった。~
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1995年に空自を退官、自身が設立したアクロバットチーム「AIROCK AEROBATICTEAM(通称;[[エアロック]])」((同チームは、現在においても日本唯一の民間職業アクロバットチームである。))を率いて活躍した((この動機を自著にて、「戦闘機乗りとしての寿命が尽き地上勤務を命ぜられるよりも、いつまでも空を飛び夢を見せたかったから」と語っている。))。~
チームは[[航空自衛隊]]の基地祭などにもしばしば姿を見せ、多くの航空ファンに親しまれていた。~
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2005年4月21日午前11時20分頃、兵庫県・但馬飛行場((現在は「コウノトリ但馬空港」との愛称がある。))で[[曲技機]]ピッツS-2C([[シリアルナンバー]]:JA22AR)の訓練中に[[墜落]]事故を起こし、約1時間半後に亡くなった。~
享年53歳、エアロック創立9年目のことだった。~
>この事故原因について[[航空・鉄道事故調査委員会]]は、「曲技飛行の一種である『ホリー・ホック・マイアー』の訓練中、回復操作の開始が遅れて地面に激突した」と結論付け、その原因について「ハードスケジュールによる過労」「持病の花粉症及びその治療薬の影響」などを指摘したが、正確な理由は不明である。

参照:エアロック公式Website http://www.airock.co.jp/

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