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*&ruby(たらーん){【タラーン】}; [#of8408cd] ロシア語:Таран~ 1941年のモスクワ包囲戦において、[[戦闘機]]を用いてドイツ軍の[[飛行機]]に対し体当たりを敢行する 、[[ソ連軍]]が主導した組織的な自殺攻撃。~ 艦船を標的としていた日本の[[特別攻撃]]とは異なり、主に[[爆撃機]]を目標としていたため、突入後に脱出が可能であった。~ 複数回タラーンを行ったパイロットもおり、ロシア人のボリス・コブザンは4機を撃墜し生き残った。 独ソ戦において[[ソ連軍]]で多く行われた、[[戦闘機]]などによる敵軍の[[飛行機]]を対象とした体当たり攻撃。~ 日本で行われた[[特別攻撃]]よりも3年も先に実施されていたが、海外文献や英語版Wikipediaをはじめとした英語ウェブサイトには”ロシアのカミカゼアタック”といった表現が多用されている。 最初の体当たり攻撃は、1914年にロシアのパイロットによって行われた。以降これはロシア/ソ連で"タラン戦術"として定着、スペイン内戦、日露戦争、日中戦争の支援時、ノモンハン事変、そして独ソ戦などで行われた。 タラーンには少なくとも3種類の方法があった。~ 1つ目は、[[プロペラ]]をもって[[方向舵]]を破壊するもの。技量は必要だが最も安全であり、場合によっては飛行しての帰還も可能であった。 2つ目は、自機の翼で敵機の舵や翼を破壊するもの。一部を損傷するが、原形をとどめる事は多く、こちらも帰還や不時着が出来る事もあった。 3つ目は、機体ごと相手に体当たりするもの。上記の2つが行えない状況や、それらに失敗した場合はこれとなる。非常に危険であり、これを行う場合生存は見込めないとされる。 タラーンは戦術・戦法の一つであり、強制やこの攻撃専門の部隊が組織されることは無かった。 また、1944年に禁止令が公布された後も、一部のパイロットによって行われている。 複数回タラーンを行ったパイロットは数十名おり、中でもボリス・コブザンは最多となる4回のタラーンに成功している。 独ソ戦におけるタラーンの件数は500を超えるが、そのうち無事基地へ帰還・不時着したものは233機で、パラシュートで脱出したものは176機、死亡が216機、行方不明が11機となっている。この統計によると、タラーンの生還率は64%となっており、生還は必ずしも絶望的ではなかったと言える。