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【ゲーリー・パワーズ事件】
1960年5月1日、フランシス・ゲーリー・パワーズの操縦するCIA所属のU-2Cが、
ソビエトのスヴェルドロフスク市上空で、SA-2「ガイドライン」地対空ミサイルにより撃墜された事件。
当初U-2はペシャワルからアフガニスタンを通り、チュータラム試射場、スヴェルドロフスク、キーロフ工業地帯、プレセック試射場、アルハンゲリスク、ムルマンスク港を偵察、バレンツ海に出てノルウェーのボド基地に着陸する予定だった。
脱出し捕らえられたパワーズは自らがCIA所属であること、CIAがソビエト領空を偵察飛行していた事を明かしたために、2週間後に控えていた米ソ首脳会談は中止、両国の雪解けムードは一気に冷めてしまった。その後両国が歩み寄るのはジョン・F・ケネディ政権の時代になってからである。
パワーズはモスクワの公開裁判で禁固10年が言い渡されたが、アメリカで捕まったソ連の大物スパイと交換で、62年2月に帰還した。そして当時のスカンクワークス責任者であるケリー氏に誘われ、U-2のテストパイロットとしてパイロット生活を再スタートさせている。しかし残念ながら後の墜落事故でこの世を去った。
なおU-2撃墜時、同時に友軍のMiG-19ファーマーもSA-2の誤射で撃墜されている。