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【宗谷】 †
- 二等巡洋艦「宗谷」。
明治末期〜大正初期にかけて大日本帝国海軍に在籍した防護巡洋艦。
元々は、帝政ロシアがアメリカから輸入した防護巡洋艦「ヴァリヤーグ」を、日露戦争開戦初頭の仁川沖海戦で鹵獲し、帝国海軍の軍籍に組み入れたものである。
日本海軍編入後は艦隊に組み入れられず、もっぱら士官候補生の練習艦として用いられ*1、第一次世界大戦中の1916年にロシアへ返還*2、艦名も元の「ヴァリヤーグ」に戻されてロシア海軍に復帰した。
その後、1917年に修理のため英国へ渡ったが、母国で革命が起きて帝政が倒れ、革命政権が修理費の支払いを拒んだため、英国で廃棄されてしまった。
- 特務艦(砕氷測量艦兼運送艦)「宗谷」。
1930年代後半に就役した強行測量艦兼輸送艦。
元々は、ソ連向け耐氷貨物船「ボロチャエベツ」として日本の造船所で建造された船を帝国海軍が買収したもの。
大東亜戦争終戦まで生き抜き、戦後は海上保安庁の船舶(灯台補給船(LL-01)→巡視船(PL-107))として使用された。
詳しくは宗谷(巡視船)の項を参照のこと。
- 鉄道連絡船「宗谷丸」。
1930年代、鉄道省(後の日本国有鉄道・JRグループの前身)が北海道・稚内と南樺太・大泊*3を結ぶ「稚泊 航路」に就役させていた砕氷貨客船。
姉妹船に「亜庭丸」があった。
1945年8月、ソ連軍の南樺太侵攻に伴い、邦人避難民多数を載せた最終便として稚内へ脱出。
以後は稚泊航路が休止(実質上廃止)となったため、青函航路での旅客輸送や室蘭〜川崎〜戸畑間の石炭輸送*4、乗務員訓練などに従事し、1960年代に除籍・売却された。
なお、この間の1950年代には「国際地球観測年」で日本が南極観測事業に参加することになったのを受けて、2.の「宗谷」*5と共に、南極観測船の候補にもノミネートされていた。
- 海上自衛隊機雷敷設艦「そうや」(JMSDF Soya MMC-951)。
1970年代、海自初の機雷敷設艦として就役した艦。
同型艦はなかったが、同時期に就役した掃海母艦「はやせ(MST-462)」と設計が共通していた。
有事において、必要な海域に機雷原を構築する任務を与えられると共に、(「はやせ」と同様)掃海部隊の母艦としての機能も備えていた。
1996年、大型化・機能統合された「うらが」級掃海母艦の就役に伴って除籍・解体された。
- 海上保安庁砕氷巡視船「そうや」(JCG Soya PLH-01)。
(初代南極観測船も務めた)2.の「宗谷」が解役になった代替として、1978年に就役した砕氷巡視船。
海保の巡視船で、初めてヘリコプターの搭載能力を備えた船でもあり、ベル212を1機搭載できる。
現在は第1管区釧路海上保安部に属し、北海道・釧路港を母港としている。
*1 装備がアメリカ式だったため、日本海軍の規格に合わなかったことと、姉妹艦がないため他の艦と「戦隊」を組めず、運用上の支障があったため。
*2 当時、日本とロシアは共に連合国陣営として大戦に参戦しており、ロシアへの援助の一環として、日露戦争時に鹵獲した艦の一部を売り戻したのである。
*3 現在はロシア連邦の実効支配下にあり、ロシアにおける地域行政区分は「極東連邦管区・サハリン州コルサコフ市」となっている。
なお、南樺太における日本の領有権は、1952年4月発効のサンフランシスコ講和条約により、同条約参加国に対して放棄されている(ロシアは現在も条約には未参加)。
*4 この時の所属は広島鉄道管理局(現在のJR西日本広島支社・JR貨物広島支店など)だった。
*5 当時は海上保安庁の灯台補給船だった。