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【ロンドン海軍軍縮条約】 †
1930年、英国のロンドンで締結された、列強諸国(第一次世界大戦の戦勝国である英国・米国・日本・フランス・イタリア)の海軍力(巡洋艦・駆逐艦・潜水艦など補助艦艇)増強を制限した多国間条約。
本条約は、先のワシントン海軍軍縮条約(以下、本項目では「前条約」とする)の不備を補い、列強諸国の海軍力の更なる縮減を目的として締結されたものである。
前条約では、海軍力の主軸である戦艦・巡洋戦艦の建艦競争にこそ一応の歯止めはかかったものの、それに次ぐ補助艦艇である巡洋艦・駆逐艦・潜水艦に対する規定は「1隻あたりの基準排水量」「備砲の口径」程度しかなく、その保有隻数に制限はなかった。
このため、各国は条約の範囲内でこれら艦船の戦闘力増強に注力することになり、結果的には更なる軍拡を招くことになってしまった。*1
そのため、これらの補助艦艇についても制限を課すべきとして、1930年1月〜4月にかけてロンドンで軍縮会議が開かれ、その席上で締結されたのが本条約である。
冒頭にもあるように、当初は前条約にも参加した5カ国が会議に参加していたが、フランス・イタリアは最終的に本条約には調印せず、英国・米国・日本のみで締結された。
内容 †
本条約は前条約と同様、各艦種の保有量を統一された一定の基準で求めた排水量――「基準排水量」ベースで定め、各国の国力に応じて比率を定めたものである。
その枠組みは次のとおりとされた。
- 戦艦・巡洋戦艦
1隻あたりの基準排水量上限及び備砲の種類・数は前条約と同じ。
ただし、新規建造凍結期間を更に5年延長(前条約発効から15年間)すると共に保有隻数を削減。 - 航空母艦
1隻あたりの基準排水量、保有できる上限及び備砲の種類・数は前条約の規定を準用。
前条約で規制対象外だった1万トン以下の軽空母も規制対象とした。 - 巡洋艦
排水量の範囲を上限1万トン・下限1850トンと規定すると共に合計排水量の上限も設定。
また、種類も下記の通りはっきりと分けることとした。
- 駆逐艦
主砲は5インチ以下、排水量は600トン以上1850トン未満。
ただし、1500トンを越える艦は合計排水量の16%以下とした。*4
保有上限は、米国・英国共に15万トン・日本10万5500トン。 - 潜水艦
排水量は2000トン以下。備砲は5インチ以下。(ただし、3隻に限り2800トン・6.1インチ以下*5)
保有上限は、米英日ともに5万2700トン。 - 規制対象外
- 排水量1万トン以下・速力20ノット以下の特務艦。
- 速力20ノット以下・備砲6.1インチ砲4門以下の艦。
- 排水量600トン以下の艦
日本への影響 †
本条約の発効により、巡洋艦・駆逐艦・潜水艦の保有数にも制約がはまることとなり、日本海軍はその対応策として
「陸上基地から展開する大型雷撃機の開発」(後の九六式陸上攻撃機・一式陸上攻撃機)
「個艦戦闘力の更なる強化」
を図ることとなった。
このうち後者については、酸素魚雷の実用化などで一定の成果を上げた反面、制限排水量の枠内で戦闘力を高めようとするあまり、船舶としての安全性を無視した無理な設計が強行されることにもなり、後に「友鶴事件*6」「第四艦隊事件*7」といった大事故を引き起こしている。
また、軍人が主導していた前条約と異なり、政府官僚の主導で条約が締結されたことで、当時の大日本帝国憲法で天皇の権利とされていた「統帥権」を侵犯しているのではないか、という問題が起き、政府部内で紛争を引き起こしている。
その後 †
本条約発効後、1935年に第2回の軍縮会議が持たれることとなったが、それに先立つ前年の予備交渉が不調に終わったことで、日本は1934年12月に前条約の破棄を通告(前条約の失効は1936年12月)。その後、1936年1月には本条約からも脱退した。
更にイタリアもエチオピア侵攻により本条約からは脱退したが、軍縮会議自体は(第一次条約に調印しなかった)フランスを加えて続行され、1936年3月に米・英・仏の三国で「第二次ロンドン海軍軍縮条約」が締結された。
この第二次条約では
「各国の建艦案相互通告・情報交換」
「戦艦は基準排水量3万5000トン以下・備砲14インチ以下、空母は基準排水量2万3000トン以下・備砲6.1インチ以下とする」
などといった規定が結ばれ、1942年まで有効とされた。
また、前条約を批准した国で、1937年4月1日までに第二次条約に調印しない国が現れた時には、参加各国の戦艦・空母保有制限を大きく緩和する*8「エスカレータ条項」も併せて定められた。(1938年に発動)
これによりネイバル・ホリデーは終わりを告げ、世界は1945年の第二次世界大戦終結までの間、際限なき軍拡競争に突入することとなった。
*1 特に日本の「妙高」級は、英海軍幹部をして「飢えた狼」といわしめるほど、乗員の居住性を犠牲にして高い戦闘力を得ていた。条約型巡洋艦の項も参照のこと。
*2 標的艦に改装され、1941年の真珠湾攻撃で沈没。
*3 この期間中、本艦は観艦式などにおいて、昭和天皇の乗艦する「お召艦」としてしばしば使われることになった。なお、本艦は条約失効後、「高速戦艦」として現役復帰している。
*4 当時、日本が就役させていた「吹雪」級のような大型駆逐艦への対応。
*5 当時、既にアメリカが「ノーチラス」級大型潜水艦を保有していたことへの対応。
*6 1934年3月12日、佐世保港外で演習中の水雷艇「友鶴」が転覆し、死者・行方不明者100名を出した事故。
*7 1935年9月、岩手県沖合の太平洋上で演習中の第四艦隊が、台風によって起きた大波に巻き込まれて多数の艦が破壊された事件。
*8 戦艦の規制を「排水量4万5000トン以下・主砲16インチ以下」に緩和すると共に、隻数ベースでの保有量も増加させることとしていた。