【エチオピア・エリトリア紛争】(えちおぴあえりとりあふんそう)

1998年、帰属が曖昧であった「イイグラ三角地帯」を獲得するためにエリトリアがエチオピアに侵攻して起きた紛争
2000年6月1日に一時停戦したが、エリトリアのアッサブ港近辺での戦闘が原因で再開され、現在でも続いている。

始まりは1998年5月、エリトリア軍が奇襲攻撃を開始した事で、これによりエチオピアのバドメ地区を占領。やがて戦闘は両国全土に広がり、6月には両首都をお互いに空爆するといった事態にまで発展した。
なお、空爆にはエチオピア軍がMiG-23BNフロッガー、エリトリア軍はMB339FD?を多く使用している。

戦闘が長く続く事により、両国では100万人を越す難民が発生し、今でも多数の人が飢えと貧困に苦しんでいる。
そのため、国連も難民キャンプを設立したり食料支援等を行なっているが、逆に両軍にキャンプを襲撃され食料を奪われる状態に陥っている。
軍事物資は国連決議により、両国への輸出は禁止されているが、中国製・ロシア製・リビア製・イタリア製等の突撃銃戦車航空機等が多数確認されており、闇ルートで輸出されていると思われる。
現在では全域で一進一退の攻防が続き、戦闘での優劣が付けられない状況だという。

この紛争では、アフリカの紛争としては珍しく両国とも航空機による攻撃を盛んに行っており、その際に両国戦闘機による多数のドッグファイトが行なわれたと言う。
その一つの例はエチオピア空軍のSu-27SKフランカーBとエリトリア軍のMiG-29Aフルクラムの空中戦であり、この出来事により航空界においては飛躍的に紛争の知名度が増した。
ちなみにSu-27はロシアから、MiG-29はウクライナから輸入したと言う*1

両軍の航空兵力(推測)

   


*1 エチオピア側にロシア、エリトリア側にウクライナが間接支援を行っているため、ロシア・ウクライナ両国間の代理戦争にもなっている。

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