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【A-3】 †
Douglas A3D/A-3
1950年代、アメリカのダグラス・エアクラフトが開発・生産し、アメリカ海軍に納入された大型艦上攻撃機。
本機はもともと、当時大きくて重かった核兵器を航空母艦で運用するプラットフォームとして、ノースアメリカン社の「AJ『サヴェージ』」とともに開発がすすめられていた機体であった。
海軍より提示されたスペックは「航空母艦より運用可能な、核爆弾の搭載を前提とした4.5tの爆弾搭載能力を持ち、3,700kmの戦闘行動半径を持つ艦上攻撃機」というものであったが、ノースアメリカン社の「XA2J『スーパーサヴェージ』」との競争試作の結果、本機が正式な開発契約を勝ち取り、開発が始まった。
後退翼に2基のターボジェットエンジンを搭載した本機は、1952年10月28日に初飛行して高い性能を示し「YA3D-1」として採用が決定。
続いて生産された量産型は1956年から部隊配備が開始され、SCB-27A改装を受けた「エセックス」級や更に大型化したミッドウェイ級・フォレスタル級などに搭載された。
しかし、1961年にはより高速を出せるA3J「ビジランティ」のデビューに伴って早くも生産が終了。同時に核攻撃任務からも外された。
また、1962年には機体命名法の変更に伴い「A-3」と改められている。
その後の本機は、核兵器搭載のために確保された大きなペイロードを活かし、電子戦機や空中給油機などに改修されて長く使われ、最後の機体が退役したのは1991年のことであった。
また、空軍でも爆撃機・「B-66『デストロイヤー』」として採用された。