Last-modified: 2023-08-06 (日) 11:42:57 (265d)

【第101建設隊】(だいひゃくいちけんせつたい)

概要
創設1960年
廃止1966年
所属国日本国
部隊編制単位隊(大隊規模)
兵種、任務、特性鉄道工兵
上級部隊第1施設群*1
所在地津田沼駐屯地(千葉県習志野市)

JGSDF 101st Railway Construction Unit.

かつて陸上自衛隊に存在した施設科工兵部隊のひとつ。
自衛隊が運用する鉄道施設の建設、災害で破壊された鉄道施設の復旧や列車による兵站輸送*2を任務としていた。

陸自が創設された1950年代当時、日本国内の道路網はまだ未整備*3で、陸上交通は日本国有鉄道(国鉄)が全国各地に敷設した鉄道網が主体となっていた。
したがって、平時・有事兵站輸送にはこれを活用せざるを得なかったが、当時の国鉄では激しい労使紛争が続いており*4、安定した運行が保証しづらい状況にあった。
こうした事態を重く見た陸上幕僚監部により、急遽編成された鉄道部隊が本隊であった。

本隊は1960年、東京都・立川駐屯地*5にて編制。
国鉄から譲り受けた旧式の蒸気機関車や旧陸軍鉄道連隊が使用していた車輌、及び鉄道連隊が千葉県・津田沼に敷設していた演習線路*6を譲り受け、活動を開始した。
主な活動としては日本海沿岸で発生した雪害(1963年、通称「38豪雪」)や新潟地震(1964年6月)に災害派遣で出動している。

しかし、本隊が創設されて以後、急速に進んだモータリゼーションに伴う道路網の整備も進み、自動車による部隊機動や兵站輸送がたやすくなっていった。
そうした趨勢に伴い、陸幕は本隊の存在意義を財政当局(旧大蔵省)に対して説明することができず、「予算使用の非効率さ*7」を指摘されてしまったこともあり、1966年に解隊を余儀なくされた*8

主な装備

  • 9600型蒸気機関車(9677):
    国鉄より譲り受けたもの。
    ナンバーは従来のとおりだったが、運転室側面に桜に「E*9」の字を入れたマークがつけられた。
    解隊後、輸送学校で保存することも検討されていたが、津田沼からの輸送費がかかりすぎるため断念、1970年3月に解体された。
  • 0-4-0(B)式蒸気機関車:
    もとは三菱重工業古河工場で使用されていたものを輸送学校が教材として譲り受けていたもの。
    解隊後は輸送学校で保存されていたが、老朽化のため傷みが激しく、校舎増築の際に移動できないと判断されスクラップとして払い下げられた。
    現在は再整備され、栃木県那須烏山市の那珂川清流鉄道保存会で保存されている。
  • 一〇〇式鉄道牽引車:
    旧陸軍鉄道連隊が使用していたもの。
  • ワム3500型有蓋車(ワム5014):
    国鉄より譲り受けたもの。車両解結(連結及び解放)訓練のほか、作業時の授業や休憩用にも使用された。
    書類上は国鉄総武線の小岩駅(東京都江戸川区所在)に常駐、という扱いにされていた。
  • 九七式軽貨車:
    旧陸軍鉄道連隊が使用していたもの。

参考:自衛隊の鉄道車両

自衛隊の装備としての鉄道車両は、上記第101建設隊以外では海上自衛隊呉弾薬整備補給所内で弾薬の運搬に使われていた小型ディーゼル機関車(堀川工機製、牽引能力7t)があるだけである。
この車両は2010年ごろに使用停止となって放置され、2015年に解体の予定だったが、「広報に利用可能」と判断されて解体を免れ、現在は呉造修補給所の給油所内に移設されて展示保存されている。


*1 後に北部方面隊の指揮下に移され、第3施設団隷下となったが廃止。
*2 国鉄が大規模ストライキを敢行した際の運行確保や、日本国内に敵国軍の正規部隊が着上陸侵攻し、国内が戦場化した際の国民への生活必需品輸送も含まれていた。
*3 現在のように高速道路もなく、一般道も、東京や大阪といった大都市中心部以外では一級(幹線)国道でさえ舗装されていない区間が多かった。
*4 当時は米ソの冷戦の時期でもあり、労使紛争の背景には共産圏からの浸透があったものと思われる。
*5 現在の東立川駐屯地。
*6 一部は戦後間もない頃に新京成電鉄新京成線に転用されていた。
*7 特に国鉄から譲り受けた旧式蒸気機関車の維持費が指摘の的となった。
*8 なお、演習線路の路盤の一部は現在も防衛省が保有している。
*9 技術部隊を表すEngineeringの略号。

トップ 編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード 新規 一覧 単語検索 最終更新ヘルプ   最終更新のRSS