Last-modified: 2024-01-13 (土) 15:46:53 (105d)

【信濃】(しなの)

大日本帝国海軍・超大型航空母艦「信濃」。
大東亜戦争太平洋戦争)後期、建造中の超ド級戦艦から空母に改造された艦である。

当初、本艦は大和戦艦3番艦として横須賀海軍工廠で建造が進められていた。
しかし、建造途中の1942年、ミッドウェー海戦やそれ以降の損失で連合艦隊の擁する空母機動部隊が壊滅的な被害を蒙り、その補充が急務となった。
このため、本艦は戦艦としての建造が中止され、空母に設計変更されて建造が続けられた。

同様に、改「鈴谷」級大型重巡洋艦として建造されていた「伊吹?」も空母に設計変更され*1、また、大正初期に建造された旧式戦艦「伊勢」「日向」も空母へ改装されることになったが、こちらは予算と費用の兼ね合いから完全な空母にはできず、戦艦としての水上砲戦能力を一部残した航空戦艦として就役した。

(空母としての)本艦の設計・建造に当たっては、他の空母とは異なるコンセプトが採用された。
敵の機動部隊を一方的に攻撃するため、本艦は機動部隊の前方海面に進出し、後方の空母から(空荷状態で)発進してきた艦載機を一旦収容し、燃料・弾薬の補充を行って敵へ向かわせる、という運用法が考えられた。
このため、当初は攻撃機を搭載せず、直衛の戦闘機のみを搭載することとされ、また、予想される敵攻撃隊の攻撃に対処するため、飛行甲板にも装甲が施されていた。

このことで公試排水量が68,000トンになったことから、後年「世界初のスーパーキャリアー*2であった」ともいわれたが、本来のスーパーキャリアーとは運用思想が根底から異なっていた。

空母としての改装工事は1944年秋までかかり、1944年11月に竣工した。
しかし、戦局の急速な悪化に呼応して建造が急がれ、必要な工事の大半が省略された形で竣工とされたため、呉に回航して残りの工事を行うこととなり、工廠の工員も乗せたまま処女航海に出た。
その途上、本艦は紀伊半島沖合で米バラオ級潜水艦「アーチャー・フィッシュ(SS-311)」の雷撃により、魚雷4本が命中して横転・沈没、竣工からわずか10日という短すぎる生涯を閉じた。

スペックデータ

種別航空母艦
主造船所横須賀海軍工廠
母港横須賀(予定)
起工1940.4.7
進水1944.10.8
就役1944.11.19
除籍1945.8.31(1944.11.29沈没)
基準排水量62,000t
公試排水量68,059tまたは68,060t、69,100t
満載排水量71,890t
全長266m(艦首より後部機銃フラット後端まで)
水線長256m
垂線間長244m
最大幅38.9m(水線下)または38m
水線幅36.3mまたは36.9m
深さ18.915m
24.81m(飛行甲板側線まで)
飛行甲板256m×40mまたは256m×39.4m
喫水10.312m
10.3m(公試)
10.4m(計画)
主缶ロ号艦本式罐・重油焚(空気余熱器付)×12基
主機艦本式オールギヤードタービン(高低圧2組)×8基
(出力150,000hpまたは160,000shp)
推進器4軸(225rpm、プロペラ直径5.1m)
燃料搭載量重油8,900t(満載)または9,000tまたは7,350t
最大速力27ノット(予定)または27.3ノット
航続距離10,000海里/18ノット
乗員士官兵員2,400名
1944年10月1日付定員:2,515人
兵装12.7cm連装高角砲×8基16門
25mm機銃×3連装37基または35基
同単装40基
28連装12cm噴進砲×12基(後日装備)
搭載機常用42機+補用5機*3
設備昇降機×2基
装甲飛行甲板:20mmDS+75mmCNC鋼
舷側:160-270mmNVNC鋼(傾斜20度)
甲板:190mmNVNC鋼
軽質油タンク舷側:25mmDS鋼2枚
同甲板:25mmDS+70mm鋼
レーダー21号電探×2基、13号電探×2基



*1 しかし、工事が80%程度進捗したところで中止となり、そのまま終戦を迎えた。
*2 「68,000トン」を国際標準のメートルトンと解釈し、これを米トンに換算すると「約75,000米トン」に相当する、として。
*3 総数75機説も存在する。

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