Last-modified: 2023-11-03 (金) 19:54:27 (33d)
【陸奥】 †
東北地方太平洋岸地域の旧国名(原義*1)。
- 1910〜1920年代、日本海軍の八八艦隊計画によって発注・建造された長門級超ド級戦艦の2番艦。
竣工直後にワシントン海軍軍縮条約の交渉において、日本が「完成済み」と主張したのに対し、英米が「未完成」として廃棄するように求められたが、最終的には日本に本艦の保有を認める代わりに英米に2隻の戦艦追加建造を許す形で決着した。
竣工後はいわゆるビッグセブンの一艦として連合艦隊の主軸を構成し、姉妹艦の長門と戦隊を組んで交替で連合艦隊旗艦を務めるなど、(海軍が「仮想敵」としていた)アメリカ海軍に対する抑止力として活躍していた。
大東亜戦争では連合艦隊司令部直属の第一戦隊に属したが、既にドクトリンが航空主兵主義に移っており、姉妹艦で連合艦隊の旗艦を務めた「長門」と戦隊を組んでいた本艦は活躍らしい活躍はできなかった。
そして1943年6月、広島県・柱島泊地に停泊中、火薬庫が原因不明の爆発を起こして沈没してしまった*2。
- 試作原子力貨物船「むつ」。
1960〜1970年代、日本原子力船開発事業団が発注・建造した原子力貨物船。
船名は当時の母港であった青森県むつ市に由来している。
竣工後の1974年、試験航海中に搭載された原子炉がごく微量の放射線を漏洩*3。
放出された放射線量そのものは自然界と同レベル*4であったが、マスコミによる風評被害によりあらゆる港から寄港を拒否されてしまい、各地の港を「漂流」する破目になった。
1978年10月に佐世保へと回航され、1982年にかけて改修工事が行われた。
最終的にむつ市の関根浜港が母港と決まり、1991年〜1992年にかけて原子炉を使用して試験航海を行った。
その後、原子炉区画を解体・撤去*5した上で通常動力の「海洋地球研究船『みらい』」として再就役した。
スペックデータ 「むつ」 種別 実験船(原子力貨物船) 建造社 石川島播磨重工業東京第2工場 起工 1968.11.27 進水 1969.6.12 その後 1993.3. 原子炉を撤去 総トン数 8,242t 全長 130.46m 全幅 19.0m 深さ 13.2m 喫水 6.9m 主缶 ボイラー×1基 主機関 三菱重工業製加圧水型軽水炉×1基(熱出力約36MW)
蒸気発生器による蒸気タービン×1基出力 10,000PS 速力 17.7ノット 乗員 80名 「みらい」 種別 海洋地球調査船(海洋調査船) 建造社 石川島播磨重工業東京第1工場
三菱重工業下関造船所起工 1995.(原子炉を撤去) 進水 1996.8.21 竣工 1997.9.29 総トン数 8,706t(国際総トン) 載貨重量 3,419t 全長 128.58m 垂線間長 116m 型幅 19m 型深さ 10.5m 喫水 6.5m 機関方式 CODLOD方式 主機関 ダイハツ 6DKM-28ディーゼル×4基(出力1,838kw)
電動機×2基推進器 スクリュープロペラ×2軸
サイドスラスター×3基(バウスラスター2基+スタンスラスター1基)出力 9,860hp(通常航行時)
1,877hp(電気推進時)電源 ディーゼル主発電機×2基(各2,200kVA)
主機駆動発電機×2基(各1,100kVA)
補助発電機×1基(1,100kVA)速力
(最大/航海)18.4ノット/16ノット 航続距離 12,000海里 乗員 80名(乗員34名+研究員28名+支援要員18名) 観測装備 シービーム2112.004 マルチビーム音響測深機(MBES)(後にシービーム3012へ更新)
地層探査装置(sub bottom profiler, SBP)(シービーム2112.004のサブシステム)
Bathy2010 地層探査装置(シービーム3012への更新後に搭載)
ピストンコアサンプラー
Cバンドドップラーレーダー(気象レーダー、後にフェイズドアレイレーダーに更新)
ラジオゾンデ
*1 明治時代以降は青森県地方に縮小された。
*2 事故発生当初は戦時ということもあり「浮揚させて3ヶ月程度で現役復帰」を考えていたというが、破壊の程度がひどく断念された。
*3 遮蔽リングの設計ミスが原因だった。
*4 一般的なブラウン管テレビの前にいて浴びる量の2倍程度だったという。
*5 撤去された原子炉は関根浜港に隣接する「むつ科学技術館」にて密閉管理の上展示されている。