*&ruby(どれっどのーと(せんかん)){【ドレッドノート(戦艦)】}; [#yda1247b]
Dreadnought(「恐れしらず」の意)~

1906年にイギリス・ポーツマス工廠で建造された[[戦艦]]。~
[[(超)ド級>超ド級]]の語源となった。~
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当時は、何kmも先にいる敵艦と撃ちあうなどということが現実的ではないとされ、またそれに必要な大口径の砲も扱いにくく、実用に耐えうるものではないだろうと思われていた。~
そのため、各種口径の砲を混合搭載することが一般的であり、また、船首に備えた[[ラム]]を用いる戦法(衝角攻撃((具体的には「ラムを敵船の船腹にぶつけて動きを封じた後、[[武装船員>海兵隊]]を乗り込ませて[[白兵戦]]により[[拿捕]]する」&br;  あるいは「ラムを敵船の船腹にぶつけて穴を開け、[[浸水]]させて沈没に持ち込む」というもの。)))も一般的であった。~
しかし、[[日露戦争]]において[[日本海軍>日本軍]]が遠距離射撃を行った実績が注目され(これについては諸説あり)、12インチ砲10門・3インチ砲24門・18インチ[[魚雷]]発射管5基を装備し、かつ11インチの装甲という当時は桁外れの重武装、重装甲の[[戦艦]]が完成することとなった((また、英国戦艦としては初めて[[ラム]]を廃止した艦でもある。))。~
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注目すべき点は、主[[砲塔]]5基のうち3基を中心線上に配置したことにより、右舷・左舷両面に対して砲撃できるようになったことで、以降の[[戦艦]]は少なからずこの配置を採用している。~
世界はこれにより一気に[[大艦巨砲主義]]という方向に流れだし、列強各国は建艦競争に突入して行くこととなる。~
なお、その叩き台となったのは、日本の薩摩型戦艦であり、本艦型は12インチ連装砲塔2基の他に中間砲として連装砲塔型の10インチ砲を6基搭載し、砲戦能力を飛躍的に高めており、ドレッドノートはそれに対抗したものとされる。~
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しかし、既存の全ての軍艦を時代遅れにしたと称される程の革新的な本艦の生涯唯一の戦果は、[[第一次世界大戦]]中の1915年、ペントランド河口付近を哨戒中に発見したドイツ[[潜水艦]]「U-29」を衝角攻撃で沈めたのみであった。~
また、自身がきっかけとなって急速に発展した工業技術によって陳腐化も早まり、後に建造された「後輩」達と艦隊を組むと脱落してしまうため前線からも早々に姿を消す事になる。
また、自身がきっかけとなって急速に発展した工業技術によって陳腐化も早まり、後に建造された「後輩」達と艦隊を組むと脱落してしまうため前線からも早々に姿を消す事になる。~
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|>|CENTER:''スペックデータ''|
**スペックデータ [#i9c63b8e]
|主造船所|ポーツマス造船所|
|起工|1905.10.2|
|進水|1906.2.10|
|就役|1906.12.2|
|退役|1919.|
|備考|1922. スクラップとして売却&br;1927. インヴァネスで解体|
|[[排水量]]&br;(常備/[[満載>満載排水量]])|18,110t/21,845t|
|全長|160.6m|
|全幅|25m|
|吃水|8m/9.4m(満載)|
|主缶|バブコック・アンド・ウィルコックス式石炭・重油混焼水管缶×18基|
|主機|パーソンズ式直結タービン(高速・低速)×2組4軸推進|
|出力|23,000hp|
|最大速力|21.0[[kt>ノット]]|
|[[航続距離]]|6,600浬(10kt)|
|乗員定数|800名|
|武装|Mark10 45口径12インチ(30.5cm)連装砲×5基&br;QF 7ポンド 50口径3インチ(7.6cm)単装砲×27基&br;18インチ(45cm)単装魚雷発射管×5基|
|[[装甲]]|舷側:279mm(舷側)&br;甲板:76mm&br;主[[砲塔]]前盾:279mm&br;バーベット部:279mm(最厚部)&br;司令塔:279mm|
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