【YS-11】(わいえすいちいち)

日本航空機製造?が設計した、戦後初のターボプロップ双発の国産旅客機
型式番号は YSが「輸送機(Yuso^ki) 設計(Sekkei)」の頭文字、最初の1が「胴体案の一番目」、次の1が「エンジン案の一番目」を示しており、「わいえすいちいち」と読む。
しかし、型式番号のYSの意味については諸説あるのでこの限りではない。

設計は三式戦闘機飛燕設計の土井武夫、零戦?設計の堀越二郎、紫電改設計の菊原静男、一式戦闘機?設計の太田稔、秋水を手がけた木村秀政と日本を代表する技術者によって行われた。
日本は連合軍?GHQ)に占領されていた時期に航空機の開発が禁止されていたため、航空機製造技術の基盤がなく、開発は困難を極めた。
1962(昭和37)年に初飛行し、その2年後の1964(昭和39年)に国内線に就航。
当時国内で主流だった1200m級の滑走路での離着陸が可能で、低速での安定性が優れていた上、燃費が良く、頻繁な離着陸にも耐えられる頑丈な構造だったため、地方間コミューター機として活躍した。
また、アメリカや東南アジアへも輸出した実績もある。

現在では機体の老朽化に伴う廃棄処分やそれに伴う新型機の導入などで機体数は減り、また衝突防止装置?TCAS)を装備することの義務付けにより、日本のエアラインにおける民間旅客機としての活躍の場はなくなった。
日本で最後まで運行し続けたエアーニッポンや日本エアコミューターでも、同様の理由からYS-11の後継としてボンバルディア社(カナダ)製のDHC-8(通称ダッシュ8)などのコミューター機を採用、2006年(平成18年)9月30日のラストフライトをもって、日本での商用機としての運行は終了した。

日本における民間旅客機としての活躍の場は失われても、海上保安庁海上自衛隊航空自衛隊や東南アジア諸国(フィリピンのアジアンスピリット、タイのプーケットエアなど)での旅客機としてはいまだに現役である。

日本の航空技術開発という点では重要な意味を持っていた本機であるが、1973(昭和48)年に合計182機で生産は打ち切られ、300億円の赤字を出して全計画が終了した。

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