【Tu-4】(てぃーゆうよん)

旧ソ連のツポレフ設計局が1940年代後半に開発・生産した四発レシプロ重爆撃機
NATO?コード名は「ブル」。

本機のルーツは第二次世界大戦中の1944年、中国大陸・成都基地に展開し、日本軍との戦闘で被弾してソ連領内に不時着したアメリカ軍B-29爆撃機である。
当時、B-29を欲しがっていた指導者・スターリンの命により、ツポレフ設計局は接収したB-29の機体を徹底的に分解。10万個を越す部品の作動・製造工程・耐久性・装着具合などが丹念に調査され、同時にロシア語バージョンの製作図面が起こされた。
しかし、ツポレフの技術陣が「ロシア語バージョンの製作図面」を作成した際、米ソ両国の度量衡を表す単位の違い(アメリカは12進法のフィート・インチ法なのに対し、ソ連は10進法のメートル法だった)により換算誤差が発生。開発が進められるにつれてこの誤差が積み重なってしまい、また、機体の構造材についても、当時のソ連の工業技術では「オリジナル」とまったく同じ素材を作り出すのが困難だったこともあって、完成した機体は「オリジナル」より500kgも重くなってしまった。
更に、元ネタとなった機体がソ連の手に渡る前、日本軍防空部隊との戦闘で被弾していて、Tu-4では、アメリカ軍の整備兵がこの部分にパッチを当てた補修の跡まで再現された、という「都市伝説」のような話も伝わっている。

1947年に原型機が初飛行した本機は、各タイプ合わせて400機近くが生産された。
バリエーションには旅客機型の「Tu-12」や、対空監視レーダーを搭載した早期警戒機型などがある。
また、後に生産されたジェット爆撃機Tu-16も、その機体構造は同機をベースとしている。

ちなみに同機は、ソ連が最初の核実験を行った際、その投下母機になっている。
(その時に投下された原子爆弾も、アメリカが長崎に投下した「ファットマン」のデッドコピーであるプルトニウム原爆だった)


トップ 新規 一覧 単語検索 最終更新ヘルプ   最終更新のRSS