【P-51】(ぴーごじゅういち)

North American P-51Mustang(マスタング)、「ムスタング」とも。
アメリカ合衆国のノース・アメリカン?社が開発したレシプロ戦闘機第二次世界大戦で最優秀といわれている。

アメリカ陸軍が採用し、欧州と太平洋で活躍したことは有名だが、初期型の欠陥と開発コンセプトはあまり有名ではない。
1939年、イギリスの発注で開発がスタートされた。ノース・アメリカン?社はP-40の下請けを断わるため、わずか117日で試作機を製作、その14日後には初飛行させ、P-51A(一部はA-36)としてアメリカ、イギリスで制式採用された。しかしA型は低高度での過給性能を重視したアリソン社製のエンジンF3Rを搭載(これは下請け拒否の軍側が出した条件であった)していたことにより、中高度・高高度での性能は非常に低かった。アメリカ陸軍、イギリス空軍はこのA型を戦闘爆撃機偵察機として運用した。
P-51が傑作機と呼ばれだしたのは、1942年4月にロールス・ロイス?のテストパイロットの、ロニー・ハーカー氏がエンジンロールス・ロイス?社が開発しパッカード?社で生産されたエンジン"マーリン61"に換装した時の性能計算を行わせ、それをイギリス空軍が実行に移した時からだった。この換装型はイギリスでは「P-51Mk.X」(マーリン65搭載)、アメリカでは「P-51B」と呼ばれる。P-51A型で660km/hだった最高速度は703km/hとなり、高高度性能も格段に向上した。D型以降ではコックピットバブル・キャノピー?に変えられ、戦闘時の後方視界も明瞭となった。
実戦では航続距離の長さを活かし、ドイツ深部や、日本本土への爆撃機護衛任務に従事した。
同時期の敵国戦闘機であるFw190Bf109零式艦上戦闘機雷電飛燕疾風に対しては性能的にも数的にも優位に立ち、常に互角以上の戦果をあげていたようだ。

戦後、アメリカ空軍全体にわたる命名規則一新計画によってF-51へと変更された後は朝鮮戦争で戦闘爆撃機として活躍したほか、第一次中東戦争第二次中東戦争で活躍した。

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(P-51D)

関連:P-38 P-47


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