【L-1049】(えるいちぜろよんきゅう)

Lockheed L-1049 Super Constellation.

1940年代〜1950年代、アメリカのロッキード社が開発・生産した大型四発レシプロ旅客機
レシプロ旅客機時代の最後を飾る機体として名を馳せた。

当初、本機は1930年代末、トランス・ワールド航空の支援のもと「北米大陸を無着陸横断できる旅客機」として「L-49」の名称で開発が始まり、第二次世界大戦中の1943年に初飛行した。
しかし、その時にはアメリカが第二次世界大戦に参戦していたため軍部に徴用され「C-69」として納入されることになったが、当時のロッキードはP-38戦闘機などの生産を優先していたため、同機については生産計画を立てる余裕がなく、数機が完成したのみにとどまっていた。

1945年に戦争が終結すると、陸軍発注分の未納入分と発生したキャンセル分から「L-049『コンステレーション』」として本格的な生産が始まり、同年12月にワシントンD.C.〜パリ線から就航を開始した。
1947年にはライバルのダグラスDC-6に対抗して改良型「L-649」「L-749*1」を発表。
更にこれをベースに、胴体を5.64m延長したのが本機であった。

こうしてデビューした本機は、L-049シリーズの悩みだったペイロード不足の解消には成功したものの、そのペイロードを支えるエンジンの出力不足が新たな悩みの種となった。
その点を「ターボコンパウンドエンジン」で改良した「L-1049G」は、長距離路線を多く運航する各国の航空会社(フラッグキャリア)が多く採用し、それまで大陸間交通の主力だった外航客船*2を衰退に追い込んだ。

本機はその後、DC-7に対抗して翼の形を大きく変え、航続距離を更に伸ばした「L-1649『スターライナー』」に発展した*3が、新型ターボプロップ機・L-188「エレクトラ」*4の生産開始を機に1958年に生産を終了し、同機やボーイングB707・ダグラスDC-8などのジェット旅客機に道を譲った。
本機のシリーズは民間型・軍用型併せて856機が生産された。

なお、日本では日本航空ダグラス社製品を採用し続けたことと、当時、日航以外に運用できるオペレーターが国内になかったため、本機は導入されなかった。

民間型は1960年代には第一線から退き、貨物機やローカル線・チャーター便へ転用されていったが、アメリカ軍に納入された軍用型(電子戦機)「EC-121『ウォーニング・スター』」はベトナム戦争終結の1970年代半ばまで現役にあった。
2000年代の現在でも数機が動態保存されている他、多くの航空博物館で保存展示されている。


*1 同機は「C-121」として軍にも納入された。
*2 クイーン・エリザベスユナイテッド・ステーツなど。
*3 生産はわずか44機にとどまった。
*4 同機自体はわずか167機の生産に終わったが、同機を基にした対潜哨戒機P-3「オライオン」は21世紀の現在でも多くの国の海軍で用いられている。

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