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*&ruby(えるてんいれぶん){【L-1011】}; [#i142d227] Lockheed L-1011 &ruby(トライスター){Tristar};.~ ~ アメリカの[[ロッキード]](現[[ロッキード・マーティン>ロッキード・マーチン]])社が1960年代〜1980年代に開発・生産した、[[ワイドボディ>広胴機]]の3発ジェット[[旅客機]]。~ ロッキード社が初めて開発・生産したジェット旅客機でもあった((同時に2016年現在、ロッキード・マーティンの製品としては最後の民間向け[[航空機]]でもある。))。~ ~ **開発の経緯 [#jf651757] 本機の開発が始まった当時、ロッキードでは[[アメリカ空軍]]から[[大型戦略輸送機>輸送機]]・[[C-5]]「ギャラクシー」の受注を獲得するなど、生産・販売の中心は[[軍用機]]に移っていた。~ その一方で、[[旅客機]]については「ジェットは時期尚早」として[[ターボプロップ機>ターボプロップ]]・L-188「エレクトラ」を販売していたが、同機の売れ行きは芳しくなく((そのL-188を[[軍用機]]化したのが、旧西側諸国を代表する[[(対潜)哨戒機>対潜哨戒機]]となった[[P-3「オライオン」>P-3]]である。))、民間機分野では[[ボーイング]]や[[ダグラス]]に後れを取りつつあった。~ ~ そのような経緯から開発の始まった本機は当初、アメリカ国内線向けの200〜250席クラスの[[双発>双発機]][[旅客機]]として構想された。~ しかし、当時のエンジンの信頼性などからロッキー山脈越えや洋上飛行への対応ができないことから、3発機として設計されることになった((これは同じ形態の[[DC-10]]よりも早く、同機の2ヶ月前に受注体制を整えている。))。