*&ruby(あいえるはちじゅうろく){【Il-86】}; [#rddab5ab]
旧ソ連のイリューシン設計局が1970〜1990年代に開発・生産した[[四発>多発機]][[ワイドボディ>広胴機]][[旅客機]]。~
西側で就航していた[[B747]]や[[A300]]などの情報に接したソ連当局が「ソ連版[[エアバス]]」として開発に着手した。~
[[NATOコード]]は「[[キャンバー]]」であった。~
~
機体はそれまでのソ連製旅客機の「[[有事]]の[[軍用機]]転換」を志向した設計思想から一転し、それまで重視されていた[[STOL]]性は重視されず、2500m以上の舗装[[滑走路]]使用を前提とした設計になっていた。~
[[エンジン]]の装備方法も改められ、それまでの後部胴体に直結する方式から主翼下の[[パイロン]]に[[ポッド]]でぶら下げる方式になった。~
~
客室の[[座席配置>アブレスト]]も3-3-3のレイアウトになり、それまでのソ連旅客機に比べて快適な座席となった。~
本格的な映画上映サービスを行える設備も整えられ、接客サービスの向上も図られた((なお、個人用テレビモニターなどは装着されなかった。))。~
~
本機を特徴づけるのが乗客の乗降方法で、メインデッキの扉(([[緊急脱出]]用とされ、本来の乗降には使用しなかったが、後に正式な乗降用に改造された機体もある。))ではなく、下部デッキ左側(ポートサイド)3か所にある乗降口から乗り、横の荷物置き場に荷物を置いてから階段で客室へ上がる方式であった((これは、[[ボーディングブリッジ]]が備えられていない地方[[空港]]での運用を考慮した設計であった。))。~
~
本機は1980年に開催が決まっていたモスクワ夏季オリンピックに間に合うように開発が進められ、1976年に[[初飛行]]したものの実用化に手間取り、路線就航は1980年12月とオリンピックには間に合わなかった。~
「[[同盟国]]」である[[ワルシャワ条約機構]]加盟国や親ソ的な第三世界各国をはじめ、西側ユーザーへの拡販も狙って日本やアメリカなどの航空雑誌に広告を出稿したものの、[[高バイパス比>バイパス比]][[ターボファン]]の開発に失敗したために[[航続距離]]が短くなってしまい((当時のソ連の[[フラッグキャリア]]・アエロフロートの運用方法や、国内で生産される潤沢な石油資源によりそのことが議論されることはあまりなかった。))、また、西側には既に[[マクダネル・ダグラス]][[DC-10]]や[[エアバス>エアバス(企業)]][[A300]]など、本機より長距離を飛べるワイドボディ機が市場を席巻していたためそれらに食い込むことができず、わずか106機の生産に終わった。~
~
軍用型として、空中司令所型のIl-80が開発され、製造されたIl-86のうちの最後の4機がこの仕様となった。~
~
関連:[[Il-96]]~
~
**スペックデータ [#q1f98e28]
|乗員|3名|
|乗客数|234〜250名|
|全長|60.21m|
|全高|15.68m(公称)|
|翼幅|48.06m|
|翼面積|300|
|アスペクト比|7|
|最大離陸重量|215,000kg|
|最大着陸重量|175,000kg|
|最大燃料容量|86,000kg|
|最大[[ペイロード]]|40,000kg|
|[[エンジン]]|クズネツォーフ NK-86[[ターボファン]]×4基(出力127.5kN)|
|補助装置|VSU-10 [[APU]]|
|巡航速度|900km/h|
|最大高度|11,000m|
|[[航続距離]]|5,000km(乗客300名、燃料満タン時)&br;4,000km(乗客最大、燃料満タン時)&br;3,400km(最大[[ペイロード]]時)&br;8,200km(フェリー時)|
|海面[[上昇率]]|5m/s〜10m/s(通常時)&br;15m/s(210,000kg時)|
|[[翼面荷重]]|672kg/屐丙蚤舂ノ重量時)|
|[[推力重量比]]|0.242(最大離陸重量時)|
~
**派生型 [#ee8c5d4a]
-Il-80:~
空中司令所型。[[NATOコード]]では「マックスドーム」と呼ばれた。~
機体背部にあるSATCOM用[[レドーム]]が特徴。~
~

トップ 新規 一覧 単語検索 最終更新ヘルプ   最終更新のRSS