- バックアップ一覧
- 差分 を表示
- 現在との差分 を表示
- ソース を表示
- Il-86 へ行く。
- 1 (2019-02-17 (日) 10:56:30)
- 2 (2019-02-17 (日) 13:57:14)
- 3 (2019-02-17 (日) 18:54:49)
- 4 (2019-03-10 (日) 21:22:26)
- 5 (2019-04-17 (水) 08:06:17)
- 6 (2019-04-28 (日) 15:33:13)
- 7 (2019-05-19 (日) 10:14:26)
- 8 (2019-12-07 (土) 05:24:05)
- 9 (2020-02-22 (土) 17:53:34)
- 10 (2020-04-07 (火) 21:04:17)
- 11 (2020-07-04 (土) 08:14:22)
- 12 (2020-07-25 (土) 08:37:44)
- 13 (2021-09-05 (日) 07:01:14)
- 14 (2022-06-08 (水) 10:02:37)
- 15 (2022-07-23 (土) 09:27:01)
- 16 (2023-08-06 (日) 14:31:32)
【Il-86】 †
旧ソ連のイリューシン設計局が1970〜1990年代に開発・生産した四発ワイドボディ旅客機。
西側で就航していたB747やA300などの情報に接したソ連当局が「ソ連版エアバス」として開発に着手した。
機体はそれまでのソ連製旅客機の「有事の軍用機転換」を志向した設計思想から一転し、それまで重視されていたSTOL性は重視されず、2500m以上の舗装滑走路使用を前提とした設計になっていた。
エンジンの装備方法も改められ、それまでの後部胴体に直結する方式から主翼下のパイロンにポッドでぶら下げる方式になった。
客室の座席配置も3-3-3のレイアウトになり、それまでのソ連旅客機に比べて快適な座席となった。
本格的な映画上映サービスを行える設備も整えられ、接客サービスの向上も図られた*1。
本機を特徴づけるのが乗客の乗降方法で、メインデッキの扉ではなく、下部デッキ左側(ポートサイド)3か所にある乗降口から乗り、横の荷物置き場に荷物を置いてから階段で客室へ上がる方式であった。
本機は1980年に開催が決まっていたモスクワ夏季オリンピックに間に合うように開発が進められ、1976年に初飛行したものの実用化に手間取り、路線就航は1980年12月とオリンピックには間に合わなかった。
西側ユーザーへの拡販を狙って日本やアメリカなどの航空雑誌に広告を出稿したものの、高バイパス比ターボファンの開発に失敗したために航続距離が短くなってしまい、また、西側には既にマクダネル・ダグラスDC-10やエアバスA300などのワイドボディ機が市場を席巻していたためそれらに食い込むことができず、わずか106機の生産に終わった。