【F2Y】(えふにわい)

Convair F2Y(F-7)"Sea Dirt".

1940年代、アメリカ海軍が試作したジェット水上戦闘機

第二次世界大戦後、アメリカ海軍では何種類かのジェット艦上戦闘機が開発され、一応の成功を収めていたが、いずれもレシプロ機に比べると着艦能力と航続距離が不足していた。
そしてジェット機の大型化も必至の状況では、更に離着艦能力が悪化し、従来の航空母艦では運用不能になることが危惧されていた。

事実、海軍では1950年代に入ってもレシプロ艦上戦闘機の運用を続けており、レシプロ艦上攻撃機に至っては1960年代まで実戦使用されていた。

本機はこの解決策の一環である「超音速ジェット水上機」として開発されたものである。

機体はデルタ翼に水上スキー状の降着装置?*1を設けた無尾翼機で、2基のターボジェットエンジンで推進するものであった。
当初はエンジンにアフターバーナーが未装備であったため推力が不足しており、要求された性能を満たすことはできなかったが、これはアフターバーナー付のエンジンに換装して解決された。

試験飛行では緩降下時に音速?突破に成功し*2、一応の成功は収めたものの、予定していた「水平飛行時マッハ1.5」の性能を発揮するには機体形状が水上機のままでは実現不可能なことや水上滑走時の衝撃を緩和する方法が見つからなかったこと、また、離着水には穏やかな水面が必要で外洋での実戦運用に疑問が呈されたことなどもあって、試作機5機(XF2Y-1×1機・YF2Y-1・4機)のみの生産に終わった。

この間に航空母艦の技術改良も進み、スチームカタパルト斜め飛行甲板の実用化や「フォレスタル」級超大型空母の建造で従来のジェット艦載機でも問題なく運用が可能になっていた。

こうして水上機の必要性が薄れたこともあり、計画は1956年に中止となった。
機体は計画中止後もしばらくの間、スキッド式の降着装置の試験に用いられた後*3、3機がアメリカ各地で保存・展示されている。

試験が行われていた頃、本機3機を搭載する原子力潜水空母が計画されていたが、本機の開発中止に伴って構想のみで終わっている。


*1 水上機の性能上の欠点となるフロートは採用しなかった。
*2 これは2019年現在でも、水上機としては唯一の記録である。
*3 このため、1962年の機体命名法改定で「F-7」という型式名が与えられている。

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