【F-14】(えふじゅうよん)

アメリカのグラマン社が開発した艦上戦闘機で、愛称はTomcat(トムキャット)。
非公式のあだ名にはアルミニウムクラウド、ターキーなどがある。

1960年代のケネディ政権時代、マクナマラ国防長官のゴリ押しで開発が行われたF-111Bが挫折したため、その代替機としてアメリカ海軍が1968年に開発を決定し、1970年には原型機が初飛行した。
F-111BからAN/AWG-9レーダー火器管制装置およびAIM-54長距離空対空ミサイル、TF30ターボファンエンジンなどの特徴を継承を義務づけられたため、機体は特徴的な可変後退翼を採用することになった。*1
一方、重量がかさんだF-111の反省から、チタニウム合金やボロン複合材などの軽量素材が多用され、当時としては非常に高度な技術だった真空中での電子ビーム溶接を用いるなどの徹底的な軽量化がなされた。
結果生まれた機体は、F-4よりも優れた空戦能力を持っていたが、F-15以上に高価であった。
このため、海軍と同型の戦闘機を導入することが通例となっていた海兵隊も本機の導入を見送り、F-4Sを使い続ける羽目となった。*2

やがてエンジンを、A型が搭載していた412(中期以降414A)から、低燃費・高出力のF110-GE-400ターボファンエンジンに換装したB型や、さらにレーダー火器管制装置をデジタル式のAN/APG-71に換装したD型が登場した。
しかし、連邦政府・ペンタゴン?は完成したD型の方がF/A-18より性能面で優れていたにもかかわらず、コスト面で配備を認めなかった。
結局D型は、国家予算、フル装備の超重量なF-14が着艦可能な空母が無い、既にF/A-18が配備されていたなどの理由から、新製37機、A型からの改造型18機の計55機にとどまった。

http://www4.plala.or.jp/klesa108/temp/20020825f-14.jpg

幻の「F-14B」

上記の通り、本機の実用化されたバリエーションはA型・B型・D型とあるが、実は「B型」だけは2つ存在する。
初期の機体に搭載されていたTF30は非常に欠陥の多いものだったことから、これを、当時開発中だったP&W社製F401エンジンへと換装する計画が1973年に提案され、実際に1機のF-14AがF401エンジンへと換装されテストを受けた。
同時にグラマン社は、電子機器のアップデートを加えたF-14Cを提案。このF-14CこそがF-14の真の姿であるとしたが、テストはF401エンジンの熟成不足もあり、トラブルを頻発。
結果、このF-14B計画はテスト途中で中止され不採用となり、同時にF-14Cも不採用となった。
後にB-1用に開発されたF101エンジンの戦闘機型であるF101EFE(EnhancedFighterEngine?――後のF110-GE-400)が開発されると、グラマンはふたたびこのF-14B試作機に搭載して試験を行い、みごとF-14Aプラスとして海軍に導入が決定する。
後に海軍は、F-14AプラスをF-14Bと改称し、これによりF-14にはB(401)とB(110)の2種類が存在することとなる。
なお、F-14Cに採用される予定だった改良案はF-14Aの後期生産型・F-14B・F-14Dに盛り込まれることとなり、実のところF-14C計画はF-14の中に生きている。

その後の発展

F-14は、当初空対空戦闘のみを考慮された戦闘機だったが、航続距離が長い、兵器搭載能力が高い、長距離攻撃機であるA-6の引退が進んだことから、右主翼付け根のパイロンLANTIRNポッドを装備し対地攻撃能力が付加されるようになり、これによりレーザー誘導爆弾などの使用が可能となった。
この対地攻撃能力が付加されたタイプを、通称ボムキャットと呼ばれた。
2001年のアフガン戦争では、戦闘行動半径不足に泣くF/A-18よりも、偵察や爆撃任務において大きな役割を担い、攻撃機としての能力を見せた。
一部では退役反対の声も海軍内からあがったが、やはりコスト面がネックであり、航続距離の伸びたF/A-18E・Fの配備にともない、2006年に全機が退役した。

海外セールス

上記にもある通り、本機はあまりにも高価すぎたため、空軍のF-15に比して海外への輸出も振るわず、アメリカ海軍以外で導入できたのは、オイルマネーで潤っていたパーレビ王政下のイラン空軍だけである。*3*4
1970年頃から、イランには敵対国のMiG-25がしばしば偵察で飛来してくるようになったが、同空軍が配備していたF-5及びF-4ではこれを全く阻止することができず、我が物顔で領空侵犯して飛び去って行くMiG-25をただ見送るだけであった。
イランはMiG-25を追い払うことのできる最新鋭戦闘機の購入を、当時友好国であったアメリカに打診、折りしも冷戦真っ只中という影響もあり、アメリカは快くF-14を提供した。
1977年、実戦配備されたF-14が遂にMiG-25をロックオンすることに成功すると、以降MiGが飛来することはぱったりと無くなったと言う。

そのイランも、本機が空軍に導入された直後に革命が勃発して反米体制となり、アメリカから経済制裁を受ける羽目になった。
80機中79機が納入された時点でF-14のプロジェクトは完全にストップ。1000人にも上った支援要員は即座にアメリカに帰国、部品の供給も絶たれた。
そのため現在の稼働数は、数十機程度ではないかと言われている。

しかし、イラン空軍では本機を依然として重要な戦力として扱っており、その証拠に在庫の尽きたAIM-54の代わりにイスラエルの手助けを受けてホーク地対空ミサイルを改造して装備(スカイホーク計画)*5するなどの努力が行われ、かつ、部品の国産化や横流し品の密輸*6によって50〜60機の稼動率を維持してエリート部隊を構成し、また、ロシアによって近代化改修が行われたとの情報もある。

参考リンク
帝政イラン空軍ホームページ(他国に亡命したイラン空軍軍人たちのホームページ)
http://www.iiaf.net/


*1 エンジンはマイナーチェンジのTF30-P-412となった。
*2 理由の1つとしては本機が空対空専用であり、上陸部隊のCAS能力を必須とする海兵隊の要求に合致しなかったということもあげられる。
*3 第3次F-Xとして日本の航空自衛隊にもオファーはされたが、結局F-15を採用することになった。
*4 1976年に入間基地で行われた国際航空宇宙ショーでの両機の激しい売り込み合戦は有名である。
*5 非公式ながらイイ戦争中に2機を撃墜したとも言われる。F-14側とのデータリンクの問題とフェニックスの予備部品が入手出来たことから、戦争後にイランは開発を断念したとしているが、1990年代にも試験が行われていたことが確認されている。また、2001年に行われた"holly war of defense"においても展示されていた。
*6 現役の軍人や官僚が関ったスキャンダルとして騒然となった。イランゲート事件の項を参照。

トップ 新規 一覧 単語検索 最終更新ヘルプ   最終更新のRSS