【F-14】(えふじゅうよん)

アメリカのグラマン社が開発した艦上戦闘機で、愛称はTomcat(トムキャット)。

F-111Bの開発に失敗したため、その代替機としてアメリカ海軍が1968年に開発を決定し、1970年には原型機が初飛行した。
F-111BからAN/AWG-9レーダー火器管制装置およびAIM-54長距離空対空ミサイル、414Aターボファンエンジン可変後退翼などの特徴を継承した。
一方、重量がかさんだF-111の反省から、チタニウム合金やボロン複合材などの軽量素材が多用され、当時としては非常に高度な技術だった真空中での電子ビーム溶接を用いるなどの徹底的な軽量化がなされた。
結果生まれた機体は、F-4よりも優れた空戦能力を持っていたが、F-15以上に高価であった。
このため、アメリカ海軍と同型の戦闘機を導入することが通例となっていた海兵隊も本機の導入を見送り、F-4Sを使い続ける羽目となった。
やがてエンジンを、若干出力不足、コンプレッサーストールが比較的起きやすい等の問題の多い414Aから、低燃費・高出力のF110-GE-400ターボファンエンジンに換装したB型や、さらにレーダー火器管制装置をデジタル式のAN/APG-71に換装したD型が登場したものの、生産はごく少数にとどまった。

冷戦が終わると、対空戦闘にしか使用できない本機の存在意義が疑問視され、また長距離攻撃機であるA-6の引退が進んだことから、本機には対地攻撃能力が付加されるようになり、通称ボムキャットと呼ばれた。
2001年アフガン戦争では、戦闘行動半径不足に泣くF/A-18よりも、偵察や爆撃任務において大きな役割を担い、攻撃機としての能力を見せた。
一部では退役反対の声も海軍内からあがったが、やはりランニングコストがネックであり、航続距離の伸びたF/A-18E・Fの配備にともない、2006年に全機が退役した

アメリカ海軍以外で本機を導入したのは、オイルマネーで潤っていたパーレビ王政下のイラン空軍だけである。
1970年頃から、イランには敵対国のMiG-25がしばしば偵察で飛来してくるようになったが、同空軍が配備していたF-5及びF-4ではこれを全く阻止することができず、我が物顔で領空侵犯して飛び去って行くMiG-25をただ見送るだけであった。
イランはMiG-25を追い払うことのできる最新鋭戦闘機の購入を当時友好国であったアメリカに打診、折りしも冷戦真っ只中という影響もありアメリカは快くF-14を提供した。
1977年、実戦配備されたF-14が遂にMiG-25をロックオンすることに成功すると、以降MiGが飛来することはぱったりと無くなったと言う。
そのイランも、直後にイラン革命が勃発して反米体制となり経済制裁が実施された。80機中79機が納入された時点でF-14のプロジェクトは完全にストップ。
1000人にも上った支援要員は即座にアメリカに帰国、部品の供給も絶れた。
そのため現在の稼働数は、数十機程度ではないかと言われている。
しかし、イラン空軍ではF-14を依然として重要な戦力として扱っており、その証拠に在庫の尽きたAIM-54の代わりにホーク地対空ミサイルを改造して装備(有効性は未確認)するなどの努力が行われ、かつ、部品の国産化や横流し品の密輸(*1)によって50〜60機の稼動率を維持してエリート部隊を構成し、また、ロシアによって近代化改修が行われたとの情報もある。

(*1)現役の軍人や官僚が関ったスキャンダルとして騒然となった。イランゲート事件の項を参照。

http://www.geocities.jp/kles_a/temp/20020825f-14.jpg


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