【F-111】(えふいちいちいち)

General Dynamics F-111 "Aardvark"
アメリカのゼネラル・ダイナミクス?社が1960年代に開発した大型の戦闘爆撃機

1960年代、ケネディ政権で国防長官を務めていたロバート・S・マクナマラは、それまで空軍・海軍で個々に実施されていた新型機の開発計画を統合して行うことによりコストダウンを見込めると考えた。
このアイディアはペンタゴン?も認めるところとなり、「戦術戦闘機試作機(TFX)プロジェクト」として軍に提示された。
現場には反対意見もあったものの結局押し切られる形になり、1961年に機体の設計が開始され、1964年12月に試作機が初飛行した。

しかし、可変後退翼や独特の脱出カプセルによる緊急脱出システムを採用した為に、要求より10トン以上も重量が超過してしまい、加えて運動性能も悪かったため、海軍は艦上戦闘機として計画していたB型の採用を見送り、F-14の開発を開始した。
1968年、空軍にA型が採用されたが、それは長距離戦闘爆撃機としてであり、次期戦闘機としての期待はF-15に集まった。

戦闘機としては欠陥があったものの、長距離侵攻作戦を行う戦闘爆撃機としては非常に優秀で、全天候能力?をもつ上、ストライクパッケージを組むことなく単独で長距離侵攻攻撃が可能で、レーザー誘導爆弾など精密兵器での攻撃や対艦攻撃を主に受け持った。
またウェポンベイを持ち、通常はM61A1?やAN/AVQ-28ペイブ・タック目標指示ポットを搭載しているが、このウェポンベイに核兵器を搭載しての核攻撃も想定されていた(後にこの構想は戦略爆撃機型の「FB-111A」として具現化)。

1986年のリビア空爆作戦において、空爆に参加した本機は実に3機に2機の割合で搭載機器のトラブルを発生して作戦不能になり、長距離飛行時における機器の脆弱さを暴露してしまったが、この経験を生かして改修された爆撃機としての能力は、1991年の湾岸戦争において如何なく発揮された。
当時、F-15Eと並び夜間に精密爆撃が可能な数少ない戦闘機として、最も多くの誘導爆弾を投下し、最も多くの目標を撃破し、最も高いミッション成功率を記録するという戦果を記録し、ある空軍将官をして「F-111が有ればF-16F/A-18は不要」とまで言わしめた。
さらには非武装である電子戦機型EF-111がマニューバーキルMiG-29を撃墜している。

湾岸戦争でのこうした活躍により、F-111の評価は爆発的に増大したものの、F-16の3倍という高いコストが嫌気されたため、アメリカ軍ではF-15Eの配備に伴い退役してしまい、現在はオーストラリア空軍向けに輸出されたC型が運用されているのみである。
オーストラリア空軍のF-111Cは、2000年のシドニー夏季オリンピック閉会式で、夜空にトーチングの炎を披露した。

派生型として核攻撃用戦略爆撃機FB-111A 、電子戦機EF-111Aレイブンが存在する。
航続距離の長さやペイロードの大きさから戦術偵察任務にも適していると考えられたが、オーストラリア軍が「RF-111C」として少数採用するにとどまった。

なお、この機体には公式なニックネームが退役直前まで無かった。
“Aardvark”以外にも“Switchblade Edsel”または単に“Switchblade”が存在していたが、退役直前に、“Aardvark”が公式名称となった。


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