【F-105】(えふひゃくご)

Republic F-105 "Thunderchief(サンダーチーフ)"

ベトナム戦争で多用された、アメリカの戦闘爆撃機

F-84をさらに発展させた核兵器運用能力と空対空戦闘能力をもつ多目的戦闘機(一種のマルチロールファイター)としてリパブリック?社が1951年に自社開発を開始、55年に試作機が初飛行した。
最大速度がマッハ2を越え、核兵器運用能力を持つ本機は、当時のアメリカが標榜していた大量報復戦略の一部として歓迎され、1957年に採用承認されている。
また、1964年4月から一ヶ月間だけサンダーバーズで使用されていた。
本機は戦闘機を示すFが付いているが、その特性は爆撃機に近く、戦闘機としては異例なウェポンベイを備え、高度な航法、攻撃システムを搭載している。
また高速を出すために胴体はエリアルールに則った形状をしており、「空飛ぶコーラ瓶」とも呼ばれた。

実際に核兵器を運用する機会はなかったが、ベトナム戦争において高い搭載能力と速度を活かし、北爆?の主役を務めた。
しかし、翼面荷重が高く、また大量の爆弾を搭載した本機はMiG-17をはじめとする北ベトナム軍の戦闘機をかわすことが出来ず、また機体の耐久性は非常に高かったものの、単発で油圧系統の抗堪性が低かったためにかなりの被害を受けた。
このため前線では「間違ってFの記号をつけた爆撃機」とすら呼ばれるようになった。
そのため、それを皮肉るような愛称として"Thud(サッド)"(日本語訳で「どさっ」、など重い物が落ちる音を表す。転じて撃墜されて地面に落ちる音を暗示)などと呼ばれたりもした。
逆に、本機によるミグの撃墜記録は28機で、その撃墜の殆どがM61A1?AIM-9による撃墜は3機となっている。

通常の爆撃任務の他に、複座のF型に電子戦機器を搭載した敵防空網制圧用のG型が実戦に投入され、任務を果たしている。
しかしこちらも猛烈なAAASAMの危険にさらされたため、かなりの被害を被ることとなった。

ベトナム戦争において爆撃の約75%を占めるなど、まさに主役といえる活躍をした本機ではあったが、度重なる出撃によりベテランパイロットが急激に減少。
その被害も甚大で、被撃墜数はD型332機、F・G型50機と、総生産数の半分以上がベトナムの戦場で失われた。
この総被撃墜382機という数字は実にアメリカがベトナム戦争で失った航空機の約1/3にあたる。
そのため正規の部隊を編成するのにも機数不足をきたし、ベトナム戦争終了後早々に第一線を退くこととなり、アメリカでは大戦後ほぼ唯一戦争で「使い切られた」戦闘機となった。


F-105D性能諸元

種別戦闘爆撃機
主任務多用途
主契約リパブリック
全長?19.62メートル
全幅?10.59メートル
全高?6.01メートル
主翼面積35.77平方メートル
乾燥重量?12700キログラム
最大離陸重量?27963キログラム
最大搭載量?6350キログラム
最高速度マッハ2.03(10650メートル)
実用上昇高度?15240メートル
最大航続距離3700キロメートル
エンジンP&W J-75×1
推力12300キログラム(A/B)
固定武装M61A1?バルカン 1028発
初飛行1955年10月22日(YF-105A)
クルーパイロット

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