*&ruby(えふいちまるよん){【F-104】}; [#f150bed0]
愛称は&ruby(スターファイター){STAR FIGHTER};。~
[[航空自衛隊]]がつけた愛称は&ruby(えいこう){栄光};。~
ロッキード社の開発チーム「[[スカンクワークス]]」が設計した、世界初のマッハ2クラス[[戦闘機]]。~
~
他の[[戦闘機]]が[[音速>マッハ]]を超えるため四苦八苦していたのに対し、本機は設計段階からマッハ2クラスの高速性が盛り込まれている。~
そのため、敢えて[[直線翼]]を採用し、またその主翼も小面積、翼厚比36%という刃物のような極薄翼を備え、徹底的な抗力の減少が図られている。~
その細身の機体と[[三菱重工]]がライセンス生産していたことから「三菱鉛筆」などとも揶揄された。~
当時、[[大陸間弾道ミサイル>弾道ミサイル]]などの登場で[[ミサイル万能論]]が浸透しつつあった時代であり、もう[[戦闘機]]は不要になるなどと言われていた事から「[[最後の有人戦闘機]]」と呼ばれた。~
~
現在でも通用するスバ抜けた加速力と上昇力との引き換えによる胴体の細さが災いし、[[SAGE]](半自動地上誘導迎撃システム)のデータリンクや、[[レーダー誘導]]の[[ミサイル]]が使用できず、燃料タンクも小さいことから[[航続距離]]も短く、アメリカ空軍自身の配備数は少数にとどまった。~
高い[[翼面荷重]]や[[ピッチアップ]]など運用面での悪癖も数多く、速度と上昇力以外に見るべき性能がないことから[[制空戦闘機]]として扱いにくかったのもその一因であろう。~
またその悪癖から、事故率が高く、「空飛ぶ棺桶」や「Widow Maker([[未亡人製造機]])」と皮肉られたこともある。~
~
アメリカ以外では[[F-86]]の後継機として[[航空自衛隊]]や[[NATO]]諸国に採用され、西側陣営の主力機として2000機以上も生産された。~
[[NATO]]の尖兵であった[[ルフトバッフェ]]のF-104Gは[[戦闘機]]としてのみならず、[[翼面荷重]]が大きいという特性を活かし、[[地形追随飛行]]による[[阻止攻撃]]の任務も担っていた。~
しかし[[地形追随レーダー]]や[[慣性航法装置]]を備えていたものの、機動性の低さが災いして墜落事故が相次ぎ、[[阻止攻撃]]任務を満足に担うには[[トーネード]]の登場を待つこととなる。~
また、旧西ドイツ海軍では小型・高速で排気煙が少ないという特性を生かし、AS30やコルモランを搭載して対艦攻撃任務に就いた。~
~
イタリア空軍では、[[FCS>火器管制装置]]の交換や[[ハードポイント]]の追加、エンジンの換装で最高速度が向上し、[[AIM-7E スパロー>AIM-7]]や[[アスピデ]]が搭載できるF-104Sを運用していたが、[[タイフーン]]への更新が進み、2005年に退役した。~
[[航空自衛隊]]が運用していたのは単座型のF-104Jと複座型のF-104DJであった。~
~
なお、台湾空軍がアメリカ経由で[[航空自衛隊]]やドイツ空軍から退役した三菱重工製のF-104J/DJを入手し、1990年代まで使用していた、という事実はあまり知られていないようである。~
~
実戦での活躍は少なく、台湾空軍機が中国軍の[[MiG-19]]2機と金門島付近で交戦し、これを撃墜した。~
パキスタン空軍機は第二次・第三次インド・パキスタン戦争にF-86、ミラージュIIIと共に参戦し、第二次では多少の戦果をあげたが、第三次では7機が撃墜され支援のために派遣されたヨルダン空軍機ともどもインド軍に惨敗している。~
終戦後はアメリカの禁輸処置によって部品の供給が絶たれ、全機が退役している。~
ベトナム戦争ではMiG戦闘機に対抗するために南ベトナムに派遣されたり(空戦の機会は無かった)、[[爆撃機]]の護衛任務についたが、航続距離不足のために随伴できず、対地攻撃では武装搭載量不足で、[[CAP>戦闘空中哨戒]]任務では[[RWR>レーダー警戒受信機]]が未搭載だったため[[SAM]]による被撃墜が多かった。~
イタリア軍機は[[アライド・フォース]]作戦で護衛任務に参加したが、交戦することはなかった。~
~
関連:[[マルヨン]]

トップ 新規 一覧 単語検索 最終更新ヘルプ   最終更新のRSS