*&ruby(でぃーしーせぶん){【DC-7】}; [#r4266510]
Douglas DC-7.~
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1950年代、アメリカの[[ダグラス・エアクラフト社>ダグラス]]が開発・生産した[[四発>多発機]][[レシプロ>レシプロエンジン]][[旅客機]]。~
[[DC-6]]の後継として作られたもので、ダグラス最後のレシプロ旅客機となった。~
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当初、本機は[[DC-6]]を運用していたアメリカン航空が、ライバルのトランス・ワールド航空が運航する[[ロッキード]]L-1049「スーパーコンステレーション」に対抗できる「アメリカ大陸を無着陸で横断できる機体」を要求したことから開発が始まった。~
そのため、機体は[[DC-6]]をベースとしながらも[[エンジン]]に[[R-3350]]ターボコンパウンドを採用、[[プロペラブレード>プロペラ]]も3翅から4翅になり、[[エンジンカウル>カウル]]も大型化。~
また、高温度の排気ガスからエンジンナセルを保護するために一部に[[チタン>チタニウム]]を採用、胴体も[[DC-6]]より1.02m延長された他、[[主脚>降着装置]]が[[エアブレーキ]]を兼ねるように改められた。~
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本機は1953年から量産されたが、ターボコンパウンドエンジン由来の大きな騒音・振動から[[キャビン]]の居住性が悪く、すぐ「機体構造強化」「燃料タンク増設」などの改良型が作られることになった。~
しかし、機体構造そのものは[[DC-4]]の時代から基本的に変わっておらず(([[操縦席>フライトデッキ]]の構造はさらに前の世代の[[DC-3]]由来のもので、[[DC-4]]から増員された[[航空機関士]]は操縦席後方のジャンプシートに座って機器を操作していた。))、強力化したエンジンとのマッチングが悪くなってしまい、また、同じ頃に英国が[[ジェット>ジェットエンジン]]旅客機「コメット」を就役させ、世界各国の航空会社の注目がそちらに集まったため、セールスは伸び悩んだ。~
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結局、本機は1959年に生産を打ち切るまで339機の生産にとどまった((最終号機はKLMオランダ航空に引き渡された。))。~
なお、前作の[[DC-6]]とは異なり、[[軍用機]]型の発注はなかった。~
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日本では、[[日本航空]]が[[DC-8]]導入までのつなぎとしてC型を1957年に導入、5機を運用していた。~
日本国内の著名な都市名を愛称につけた[[DC-6]]と異なり、(当時の)海外の就航地を愛称につけていたが、[[DC-6]]よりも早い1965年に退役となった。

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