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*&ruby(でぃーしーしっくす){【DC-6】}; [#rafc13ae]
Douglas DC-6/C-118"Liftmaster"/R6D.~
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1940〜1950年代、アメリカの[[ダグラス・エアクラフト>ダグラス]]社が開発・生産した大型[[レシプロ>レシプロエンジン]][[旅客機]]。~
「レシプロ旅客機の傑作」として名高い機体でもあった。~
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当初、本機は[[アメリカ軍]]で使用されていた[[C-54>DC-4]]の改良型「XC-112」として[[第二次世界大戦]]中の1944年に開発がはじめられ、1946年に[[初飛行]]した。~
前作の[[DC-4]]に比べて胴体を大幅に延長した他、[[キャビン]]の与圧((これはライバルとなった[[ロッキード]]のL-1049「スーパーコンステレーション」に対抗したもの。))や[[レーダー]]の装備で居住性・安全性を改善した。~
前作の[[DC-4]]に比べて胴体を大幅に延長した他、[[キャビン]]の与圧((これはライバルとなった[[ロッキード]]の[[L-049「コンステレーション」>コンステレーション(航空機)]]に対抗したもの。))や[[レーダー]]の装備で居住性・安全性を改善した。~
また、新型[[エンジン]]「[[ダブルワスプ>ワスプ]]」の採用で、大西洋を無着陸で横断できる[[航続距離]]を達成した。~
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量産型は1947年から生産が始まり、戦後の航空需要復興と軌を一にしてセールスを拡大。~
後継機・[[DC-7]]の登場後も生産は続き、[[ジェット>ジェットエンジン]]旅客機・[[DC-8]]の生産が始まる直前の1959年に生産を終了するまで約700機が製造された。~
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また、[[軍用機]]としても用いられ、[[アメリカ空軍]]では「C-118『リフトマスター』」、[[海軍>アメリカ海軍]]では「R6D」と呼ばれていた。

**日本でのDC-6 [#s4a693f4]
日本では[[フラッグキャリア]]となった[[日本航空]]が運用していた。~
当初、日航では国際線用機材として本機を発注したが、ダグラスから「引き渡しまで2年待ち」と回答されたため、他社向けに製造中の[[貨物機]]型を購入して[[旅客機]]仕様に再改装する形((このため、引き渡し価格は通常価格の45%割増となった。))で3機を購入、国内線([[羽田>東京国際空港]]〜[[札幌>千歳空港]]間)で運用を開始した。~
当初、日航では国際線用機材として本機を発注したが、ダグラスから「引き渡しまで2年待ち」と回答されたため、他社向けに製造中の[[貨物機]]型を購入して[[旅客機]]仕様に再改装する形で3機を購入((ちなみに、この時の引き渡し価格は通常価格の45%割増だった。))、国内線([[羽田>東京国際空港]]〜[[札幌>千歳空港]]間)で運用を開始した。~
その後、ダグラスからの新品と他社からの中古機((このうち1機([[機体記号]]:JA6210。元サターン航空の機体だった)は営業運航には就かず、もっぱら訓練用として用いられた。&br;  このため、他機のように愛称はついていなかった。))を追加購入し、合計9機を導入した。~
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日本航空での本機には東京、京都、奈良など、日本の著名な都市の名前を愛称につけていた。~
本来の用途である国際線での運用の他、東京オリンピック(1964年)の聖火をギリシャから空輸したり、昭和天皇御乗用機の栄誉を得たり((1954年の北海道国体にご出席の際、帰路に利用された。&br;  これ以後、日航は日本国の[[フラッグキャリア]]として、内外のVIP輸送を多く受け持つようになった。))、[[航空郵便]]の輸送に用いられたりと、幅広く活躍した。~
日本航空での本機には東京、京都、奈良など、日本の著名な都市の名前を愛称につけていた((これに対し、[[DC-7]]では海外の著名な都市の名前を愛称につけた。))。~
本来の用途である国際線での運用の他、東京オリンピック(1964年)の聖火をギリシャから空輸したり、昭和天皇御乗用機の栄誉を得たり((1954年の北海道国体にご出席の際、帰路に利用された。&br;  これ以後、日航は日本国の[[フラッグキャリア]]として内外のVIP輸送を多く受け持つようになり、そのノウハウは現代の[[政府専用機>B747-47C]]にまで引き継がれている。))、[[航空郵便]]の輸送に用いられたりと、幅広く活躍した。~
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その後、後継機の導入に伴って国内線や貨物便に転用されていったが、[[コンベア880]]の国内線導入に伴い、1969年3月に全機が退役した。~
これは後継機のDC-7よりも遅い退役であった。~
その後、後継機の導入に伴って国内線や貨物便に転用されていったが、[[コンベア880]]及び[[YS-11]]((こちらは日本国内航空(後の[[日本エアシステム]])からのリース機。))の導入に伴い、1969年3月に全機が退役した。~
これは後継機の[[DC-7]]よりも遅い退役であった。~
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**スペックデータ [#df81e239]
|タイプ|CENTER:DC-6|CENTER:DC-6A|CENTER:DC-6B|
|乗員|>|>|CENTER:3〜4人|
|乗員・貨物容量|CENTER:48〜68人|CENTER:貨物12,786kg|CENTER:42〜89人|
|全長|CENTER:30.66m|>|CENTER:32.18m|
|全高|>|>|CENTER:8.66m|
|翼幅|>|>|CENTER:35.81m|
|翼面積|>|>|CENTER:135.9|
|空虚重量|CENTER:23,844kg|CENTER:20,803kg|CENTER:25,110kg|
|最大離陸重量|CENTER:44,100kg|CENTER:48,600kg|CENTER:49,000kg|
|[[エンジン]]|>|>|CENTER:[[P&W>プラット&ホイットニー]][[R-2800「ダブルワスプ」>ワスプ]][[空冷>空冷エンジン]]星型複列14気筒×4基|
|~|CENTER:R-2800-CA15|CENTER:R-2800-CB16|CENTER:R-2800-CB17|
|エンジン出力|>|CENTER:2,400hp(1,800kW)|CENTER:2,500hp(1,900kW)|
|巡航速度|CENTER:501km/h|>|CENTER:507km/h|
|[[燃料]]容量|4,260US gal(16,100リットル)&br;4,722US gal(17,870リットル)|CENTER:-|CENTER:5,512US gal(20,870リットル)|
|[[航続距離]]|CENTER:7,377km|CENTER:5,460km(最大[[ペイロード]])&br;7,995km(燃料満載時)|CENTER:4,830km(最大ペイロード)&br;7,600km(燃料満載時)|
|[[実用上昇限度>上昇限度]]|CENTER:-|CENTER:6,700m|CENTER:7,600m|
|[[上昇率]]|CENTER:330m/min|>|CENTER:-|
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**バリエーション [#m3bbd949]
-XC-112A/YC-112A:~
[[C-54>DC-4]]を改造した試作機。~
エンジンはP&W R-2800-83AM3を搭載。~
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-DC-6A:~
貨物型。~
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-DC-6B:~
旅客型。~
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-DC-6C:~
貨客両用型。~
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-C-118A「リフトマスター」:~
[[アメリカ空軍]]向け輸送機型。~
[[アメリカ空軍]]向け[[輸送機]]型。~
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-R6D-1(C-118B):~
[[アメリカ海軍]]向け輸送機型。~
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-R6D-1Z:~
アメリカ海軍向け人員輸送機型。

-[[エアフォースワン]]
アメリカ海軍向け人員輸送機型。~
~
-大統領専用機((「[[エアフォースワン]]」の[[コールサイン]]が使われるようになったのは1959年から。))
--VC-118:~
ハリー・S・トルーマン大統領の専用機として使用された。~
1947年7月4日(アメリカ独立記念日)に納入されたため「インディペンデンス((英語で独立の意。))」の愛称で呼ばれていた。~
~
--VC-118A:~
ジョン・F・ケネディ大統領とリンドン・B・ジョンソン大統領の専用機として使用された。~
後継として[[VC-137C>B707]]が導入された後も、ジェット機の離着陸が困難な地方空港を利用する際の専用機として、1967年8月まで使用された。~
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