【DC-4】(でぃーしーふぉー)

Douglas DC-4/C-54/R5D.

1930〜1940年代、アメリカのダグラス・エアクラフト社が開発・生産した大型レシプロ旅客機
開発完了が第二次世界大戦中となったため、生産当初は軍部に徴用され「C-54『スカイマスター』」(アメリカ陸軍航空隊)/R5D(アメリカ海軍/アメリカ海兵隊)として用いられた。

当初、本機はDC-3の後継となる大型四発機として「DC-4E」の名で1938年に開発された。
しかし、完成した機体はエンジンの出力に比して機体重量が重すぎ、整備性・経済性にも難があったため1機のみが製作されただけで終わった。

なお、当該機体は日本海軍が「大日本航空*1」名義で入手し、中島飛行機で海軍向け大型陸上攻撃機「深山」の設計の参考とされた。

その後、一から設計をやり直して1942年に開発を完了したが、時あたかも第二次世界大戦の最中であったため軍部に輸送機として徴用され、前述のとおりC-54/R5Dという型式をつけて活躍した。
この「C-54/R5D」名義では合計1,134機生産されたが、戦後、そのうちの500機が民間に払い下げられ、旅客機として改装されて「DC-4」となった。
更に74機が民間機として生産され、パンアメリカン航空日本航空*2、キャセイ・パシフィック航空やカンタス航空など世界各国の航空会社で中長距離路線の主力機として用いられた。

1950年代になると、より大きなエンジンと与圧キャビンを備えたDC-6DC-7の登場で国際航路の第一線からは退き、国内線や貨物便に転用されていった。
更にその後、ジェット推進のDC-8B707の登場で大手航空会社のフリートからは引退することになった。

2010年代現在でも、本機は数十機が貨物機や消防機として用いられている。


*1 戦前の日本にあった民間航空会社。現在の日本航空とは無関係。
*2 日本で本機を導入したのは同社だけであった。
  また、当時発行されていた航空郵便用切手(航空切手)の図案にも採用されている。


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