【B-58】(びーごじゅうはち)

Convair B-58 "Hustler".

1950年代、アメリカのコンソリデーテッド・ヴァルティ(コンベア)社が開発・生産していた超音速戦略爆撃機
アメリカ初の超音速戦略爆撃機であったが、後述する理由により、配備からわずか10年足らずで退役となった。

本機は1950年代、東側(ソ連及びワルシャワ条約機構参加各国)の防空網を高高度からマッハ2の俊足で強行突破して核爆弾を投下するための爆撃機として開発が始められ、1956年に試作機が初飛行、1960年から実戦配備が始められた。
そのため、機体はコンベア社が得意としていたデルタ翼エリアルールを採用した胴体を組み合わせ、構造材はハニカム構造を取り入れて徹底的に軽量化された。

当時のアメリカ空軍にはデルタ翼の練習機がなかったため、本機のパイロット候補生が訓練機のTB-58Aに乗る前に飛行特性を体験する初期訓練には、同じくデルタ翼で操縦席サイドバイサイド配置のF-102「デルタ・ダガー」戦闘機が用いられていた。

エンジンにはGE社製のJ79ターボジェットを4基搭載した。
このエンジンは高度35,000フィート以上で連続2時間のアフターバーナー使用が可能であった。

兵装は機体内に爆弾倉を持たず、自衛用の機関砲を除くすべての兵装を外装式のポッド(爆弾倉兼増槽)に搭載した。
これにより、目標上空でポッドを投棄することによって身軽な帰還が可能になったほか、新しく開発された兵器もポッドにより搭載可能となっていた。

本機は前述のとおり「アメリカ空軍初の超音速戦略爆撃機」としてデビューしたが、意欲的な設計が多く盛り込まれたために価格が高くなり*1、また、整備性の悪さや航続距離の短さ、B-52ほどの汎用性がなかったことなどから活躍の場を狭めていき、1970年までに全機が退役となった(ベトナム戦争には不参加)。

実戦には未参加だったが、1962年のキューバ危機の際には偵察ポッドを搭載した本機がキューバ上空で偵察飛行を行っていたという。


*1 開発中に弾道ミサイルが実用化され、本機のような「高速爆撃機」の存在意義がなくなっていたのもある。

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